この町の位置と変化は、大きな公共施設とともに現場に残されていた。事件報道のカメラが押し寄せた町営住宅から、県道を北上し車で5分ほどの場所に、「環境省白神山地世界遺産センター藤里館」がある。藤里町は、白神山地の南端に位置する観光都市だったのだ。
一九九三年、白神山地は「世界自然遺産」に認定された。世界遺産センターには、白神山地の森とそこで生きる鳥やカエルや昆虫が、模型や写真パネルとなって展示されている。森の生態系は観光資源となり、ここから発信された森のイメージは、グラフ誌やハイビジョン放送やアニメーション映画を通じて、すでに私たちの眼に届けられていたのである。二〇〇六年のメディアスクラムからさかのぼって十三年前に、藤里町の見世物は始まっていたのだ。
この間、藤里町には二つのカメラが持ち込まれたことになる。観光宣伝のカメラと、事件報道のカメラである。森の自然を賞賛し観光資源に仕立てるカメラと、挙動不審な女を摘発するカメラ。二つのカメラはそれぞれの現場を分担しつつ、見世物を整備するひとつの都市計画を推進する。二つのカメラがとらえたイメージは全国に、ときには世界に配信され、愛でるべきものと摘発すべきものを私たちの眼に焼きつける。フェティッシュに視覚化されたイメージが藤里町と私たちを接続し、そのイメージと視線がつくりあげる新たな位相の都市空間に藤里町は組み込まれているのである。視覚イ
(『原子力都市』 以文社 2010)