オウム真理教の組織と実践は、国家の提示する「田園都市」というモデルに見事に応答するものであった。工業都市が生み出した富を否認した人々は、彼らなりの脱工業化を模索し、構想していったのである。
はじめはヨガから始まったおだやかな修養プログラムは、次第に荒々しい方法に変わっていく。さまざまな器具や機械や薬物が開発され、人体実験が繰り返される。出家信者が住まう施設は、研究と教育の拠点であると同時に、先端技術を駆使して兵器を生産する工場となっていくのである。
オウム真理教が上九一色村に工場を建設する1990年代、全国26地域の「テクノポリス」は、すっかり熱を失っていた。計画目標を達成した地域はほとんどなく、日本版シリコンバレーの夢は実現しなかった。そして人々が「テクノフィーバー」を忘れようとしていた頃、サティアンと呼ばれる工場群は、小さな「テクノポリス」として成長していた。全国でただ一つ実現した、内陸型の、産・学・住を備えた、知識集約型工業都市。国の承認を受けない27番目の「テクノポリス」は、その高い技術力と生産性を世界に示した。そこには、反民主主義を基軸にして人間を徹底的に奴隷化する「テクノポリス」が実現したのである。
(『原子力都市』 以文社 2010)