2010年9月29日水曜日

八千代市の「多文化共生社会づくり」

 2月23日火曜日。きびしい寒気がゆるみ暖かい日差しがさす日、千葉県八千代市のある中学校では、「むらかみインターナショナル子どもサミット」という催しが行われていた。
会場となった体育館に入ると、ステージでブラジル人歌手が歌い、小学生のこどもたちがダンスを楽しんでいる。飛び跳ねてはしゃいでいる小学生から少し下がったところには、中学生たちがすこし戸惑いながらステージをながめている。集められた児童は、40人から50人ほど。彼らはこの地域に暮らし学校に通う、ブラジル、ペルー、中国などいわゆる「ニューカマー」の外国籍の子どもたちである。見物の輪の外周をつくっているのは、さまざまな表情で子どもを見守る保護者たち、学校の教職員、地域の町内会役員、民生委員、警察だ。
催しは二部構成となっていて、第一部は『集会〜インターナショナルな子ども達,みんな集まれ!』と題して、音楽やダンスで交流する集会。この時間は、日本で活躍するブラジル人歌手・シキーニョさんをゲストに迎え、陽気な歌にあわせてみんなで踊る。
第二部は、『フォーラム〜多文化共生社会を考えよう』。第二部からは小学生を教室に返し、中学生と大人たちが椅子を並べて座る。通訳者を介して懇談会が行われた。
第二部が始まる頃、私は市役所と図書館で調べものをするために会場をあとにした。学校の敷地を出て、駅に向かって歩いていると、運動場でマスゲームの練習をしている中学生の姿が見える。そろいの体操服を着た子どもたちは、かつて流行した「一世風靡セピア」の曲にあわせて、踊りの練習をしている。おそらくいくつかの理由があって、「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、「ニューカマー」の外国籍児童だけで、他の小中学生を交えないかたちで行われた。

「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、今回が初めての試みである。これは「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」のひとつとして委託された事業である。実施主体は、「村上地区外国人児童生徒受入整備連絡会」と村上地区の五つの小中学校だ。「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」は、NPOや大学などを主体にして、いくつかの事業を行っている。少々長くなるが、インターネットで公開されている一覧を引用しよう。

○むらかみインターナショナルこどもサミットの開催
八千代市村上地区の小学校(3校)、中学校(2校)の生徒、保護者、教育関係者、ボランティア、企業関係者等が一堂に集い、みんなで歌い、学び、踊ることなどを通じて交流する。地域への所属感を高め外国籍児童としてのアイデンティティの確立、保護者や雇用主の教育に対する理解の増進、地域住民の多文化共生意識の理解促進を図る。

○県内外国人集住地域の包括的実態把握にむけた予備的研究
中部や北関東の外国人集住地域から不況、住宅不足、定住化などにより千葉県内へシフトしつつある人の流れを包括的に把握し、現場支援の一助とすることをめざす。単純労働者、熟練労働者、留学生及び日本企業就職者の集住に至る背景、人数と居住地、現在の住環境、行動範囲、就労実態などの基礎的データを収集・分析する。

○千葉県内の留学生を対象とした日本就職支援セミナーの開催
県内大学に在籍する留学生に対し、履歴書の書き方、エントリーシートの書き方のセミナーを開催し、県内大学在籍留学生の就職率の向上と、県内企業の国際化及び国際競争力の向上を図る。

○日本語を母語としないJSL生徒の高校受験支援
高校受験を希望する生徒のために、通常授業日の午後に特色化選抜試験に対応する作文、面接を中心に英語、数学支援等の受験生特別支援を行い、高校進学を促進する。

○多文化共生情報ネットワーク事業
市原市内に多く在住し、情報が届きにくい南米系外国人のために、「広報いちはら」や新聞、雑誌等の記事で生活に必要となる情報をスペイン語やポルトガル語に翻訳し、それを外国人に届ける情報伝達システムを確立する。翻訳チームの整備や南米系外国人との信頼関係、情報ネットワークを築く。

○外国人の子どものための勉強会
外国人と日本人がコミュニケーション(交流・集い)の場をもち、互いを理解しあい、共生を進める。地域の同年齢、同学年の外国人生徒と日本人生徒の双方に参加を呼びかけ、交流する「中・高校生の集い」を開催し、対等な立場で身近なことを話し合い、お互いを分かり合うきっかけをつくる。

参照 ちば国際情報広場(「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」の委託について)
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kokusai/foreigner/tabunka/tabunkakekka2009.html


八千代市は、人口19万人。東京の東、千葉県北西部にあり、東京から直線距離で40キロに位置する衛星都市である。40キロという距離がどれぐらいかというと、東京から西に40キロ進めば町田・相模原、三多摩地域に進めば八王子、北に進路をとれば大宮・上尾になる。東京の外縁を囲む国道16号線がこれらの衛星都市を環状に結んでいる。
八千代市の北東部には印旛沼がある。印旛沼の水は、一部は千葉県北部を横断する利根川に合流し、銚子から太平洋に流れていく。また一部は八千代市を南北に縦断する新川を流れ、千葉市花見川を経て東京湾にそそぐ。かつて利根川が氾濫していた頃は、増水した水が印旛沼に逆流し、さらには八千代市の新川流域を冠水させたという。現在では新川に排水機場がつくられ、冠水することはなくなった。
八千代市は1950年代末に大規模な住宅開発を開始する。陸軍演習場の跡地に複数の住宅団地が造成され、東京で働くサラリーマン世帯が集住する住宅都市を形成していった。京成本線八千代台駅から船橋駅まで約15分、日暮里駅までは約40分。60年代当時、八千代台駅には毎朝一万人の通勤客が列をつくったという。
住宅開発と並行して、工業団地の建設と工場誘致が行われる。市を南北に縦断する国道16号線を挟んで、西側に八千代工業団地、吉橋工業団地、16号の東側に上高野工業団地が造成された。
16号線の東側に位置する村上団地は、70年代後半、上高野工業団地に隣接してつくられた住宅団地である。ここは、東京に通うサラリーマンの「ベッドタウン」としてだけでなく、上高野の工場や倉庫に勤める労働者に向けた、職住近接の性格をもった住宅団地だ。起伏の大きい丘陵地に、5階建て程度のマンションと、一戸建て住宅が並ぶ。住宅地の東側には、幅約100メートルの緑地帯を挟んで、上高野工業団地がある。ここで操業する工場・倉庫は現在約50社。機械、化学製品、食品工場が並び、ダイエーの流通センターや、インターネット通販で知られるアマゾンの配送センターなどがある。ひとつひとつが大きな敷地をかまえ、航空写真で識別できるほど大きい。郊外の工場・倉庫群は、東京・千葉の大都市圏を支えるバックヤードとして生産と物流を担っていて、たとえばコンビニエンスストアで販売される弁当やおにぎりは、こうした場所でつくられ配送されている。工場の求人は、時給900円から1300円。賃貸住宅の情報誌を見ると、村上団地にある3DKのマンション(6・6・3・DK6、51平米)が、一月5万円ほどで貸し出されている。
ここに、外国人移住労働者が家族を伴って暮らしている。
「むらかみインターナショナル子どもサミット」のパンフレットから、ふたたび引用しよう。

「村上地区5校の小中学校には、現在70名を越える外国人児童生徒(日本語を第2言語とする児童生徒)が在籍している。国籍はブラジル、ペルー、フィリピン、メキシコ、アルゼンチン、中国、ボリビアの7カ国である。八千代市で最も外国人生徒が多い地区である。こうした外国人児童生徒が、学校を超えて交流していけば、地域への所属感が高まり、児童生徒のアイデンティティの確立にも寄与できると考え、ここに一堂に会することとなった。
また、参加していただく外国人児童生徒の保護者が、日本の教育に対する理解を深め、地域に対する信頼感を高める機会ともとらえている。今後は外国人児童生徒と日本人児童生徒との交流も計画している。このサミットを契機に、村上地域に住む全ての人達が、「多文化共生社会」について真剣に考え、一歩でも前進していくことを期待している。」

この文章が言外ににじませているのは、外国人(ニューカマー)の子どもたちが学校を離れてしまうことへの危惧である。もっと直接的に言えば、学校に行かない子どもが地域をぶらついたりたむろしたりすることへの危惧だ。学校は地域社会を結びつける強力な、そしておそらく唯一の場だ。子どもたちが学校に適応しなかったり、不登校が常態化することは、すなわち外国人移住者の日本社会からの離脱であり、地域社会の破綻に直結する。問題は、どのようにして彼らを着地させるかである。「多文化共生社会」の焦点は、教育の問題である以前に「社会づくり」の問題であり、新しい住民をめぐる都市政策の問題なのだ。

一般に、都市郊外は二つの性格、二つのベクトルをもって拡大する。ひとつは都市からの排除と周辺化を示す「場末」としての郊外。もうひとつは、都市を離脱して新たな生活環境を模索する「新天地」としての郊外である。
「場末」としての郊外は、都市が歓迎しない工場や公共施設(ごみ焼却場や斎場霊園)がうち寄せられるようにして配置される。そこには、都市中心部に入れない低所得層や外国人移民が集住する。「場末」は、成長する都市のダイナミズムと活力が表現される場だ。
「新天地」としての郊外は、都市の環境を離れたより良い住環境を求めて、主に中堅所得者によって担われる。都市の喧噪や人いきれを離れて、静謐と良い空気を求めて、住宅と住環境が開発されていく。「新天地」は都市の都市的性格を抑制し、ときには拒絶する。歴史的な視点を離れたある種のユートピア主義、生活保守主義がいかんなく発揮される場だ。
そして郊外とは、「場末」と「新天地」という相反するベクトルが交錯する場だ。多くの場合、都市郊外とは、「場末」かつ「新天地」なのである。地域と学校はこの二つの葛藤をはらんでいて、ここでは、日本語を母語とするか否かという社会の分化だけでなく、「場末」の子どもか「新天地」の子どもかという、より深刻な分化にさらされているのである。不登校は、外国人の子どもだけとは限らない。低所得層の子どもたちは、進学や雇用の面で今後ますます「外国人化」し、日本社会から排除されあるいは離脱していくだろう。「場末」と「新天地」の葛藤は増していく。快適で安全な住環境をもとめる中堅所得者たち、傷つきやすく了見の狭い人々は、今後ますます「隣人問題」に悩まされるだろう。
「多文化共生社会づくり」事業は、両義性をはらんでいる。この事業は、郊外がはらむ「場末」的性格を洗浄し、安全な「共生」を実現することになるのだろうか。それとも、「共生」という「隣人問題」の枠を超えて、グローバル都市の新たな論理と新たな途を示すのだろうか。村上駅前のイトーヨーカドーでコーヒーを飲みながら考えた。明るく、清潔で、穏やかな場所だ。歴史も世界も忘れてしまったかのようなユートピアじみた商業空間。このとりすました郊外の空間が、子どもたちの手によって転覆されるかもしれないと想像して、興奮した。

(『リプレーザ2』 Spring2010)