3月16・17日、名古屋市で被曝社会研究会の合宿をおこなった。参加者は10名。
今回は九州・関西の人が来られず、ほとんどが東京からの参加者で占められた。フリーター全般労働組合のメンバーや、洞爺湖サミットの抗議行動を準備したグループなど、これまで長く付き合ってきた仲間と再会し、ひさびさに声がかれるほど話した。
一日目は、被曝労働についての討議。
二日目は、先月発売した『被曝社会年報1』に関する討議。
両日とも言いたい放題で、ともすれば奥歯にモノの挟まった状態に陥りがちな課題について、内容の濃い意見交換ができたと思う。
最近、年をとったせいか、遠慮がなくなった。
この二日間、ずいぶんなことを言ったと思う。労組の活動家に対しては「労働組合にはなにもできない」と言ったし、フェミニストに対しては「日本の女性学は原子物理学と同じ程度に御用学問」と言った。翌日に名古屋に駆けつけてくれた白石さん(フランス文学)に対しては、「いま主婦の存在を見据えない文学なんて文学じゃない」と言った。もう言いたい放題だ。
なぜこんなことになっているのか自分でもよくわからないが、たぶん私が興奮している原因のひとつは、もっとも古い同志であり先生でもある山の手緑氏が研究会に参加してくれたからだろう。
山の手緑は、『被曝社会年報』を酷評した。
「なんだこの惨状は」と言い、「ボロボロじゃないか」と言い、「けっきょく私が書かなきゃダメなのか」と言った。
彼女はこの二年間沈黙していたが、いまようやく腰をあげる気になったようだ。
これは大きな成果である。
ていうか、おせーよ。
はやくなんか書け。