2012年6月17日日曜日

新刊の前口上

今日、新評論から新刊見本がきた。

『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』(新評論)

来週には書店に配本される予定です。
以下、出版社の近刊案内で出されている自己紹介文を転載します。


放射能問題を考える
矢部史郎

福島第一原子力発電所が「レベル7」の事故を起こして以来、放射能問題にどう対処するかが大きな課題になっています。世界が日本に注目しているのは、放射性物質の拡散がどのような被害をもたらすかであり、また、日本に居合わせた我々がどのように放射能と対決するかです。問題は自然科学の領域に留まらず、自然科学と社会科学、さらには文学的課題も含めて、さまざまな領域を横断して考え、応答することが求められているのです。

 本書『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』は、「反原発派」としての意見表明であるだけでなく「反放射能」=ゼロベクレル派の態度表明として書かれました。放射能の被害について過小評価することや、被曝を受忍することは、いまや国民的合意になりつつあります。それは原子力行政の側はもちろんのこと、反原発派の側にも、被曝を受忍しようとする諦念に似た気分が広がっています。右派であると左派であるとを問わず、自己犠牲的行為が称揚され、「放射能を食えという社会」が構成されつつあるのです。ここにあらわれているのは、これまで積み上げてきた人権概念がなし崩しにされる事態です。人権を希求する社会にかわって、同調と自己犠牲を求める「社会」が登場したのです。放射能のある社会とは、言いかえれば、人権が放棄される社会です。現在の日本において、我々が批判的思考を働かせるならば、まずこの「人権の危機」を正面から受け止め応答するものでなければならないと考えます。

いま日本で起きている人権の危機は、危機であると同時に契機にもなりうるものです。社会科学も人文科学も、この2011年の危機を境に生まれ変わるでしょう。しかしただ「生まれ変わるでしょう」と他人事のように構えているのでは充分でない。ここで私は、科学と文学を産み直す実践に自らをなげこむことを表明します。これは私個人の決意表明であり、同時代の人々への呼びかけでもあります。いまこの社会で批判的に反時代的に考えることは、これまで以上に刺激的で使命を帯びたものになっているのです。


6月下旬には新宿の模索舎で、7月6日には新宿の紀伊国屋書店で、それぞれトークイベントをやります。
地元名古屋での販促イベントは未定。本当は正文館あたりでちまっとやりたいんですが、どうも名古屋はそういう文化がないようで、まだまだこれからです。

追記
 新宿の模索舎のイベントは、6月27日19時からに決まりました。
 場所は模索舎(地下鉄丸ノ内線「新宿御苑」駅歩5分)です。
 
 http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/2012/06/vs20113122012627.html