2013年12月18日水曜日

地方権力の没落過程



 大友良英の「プロジェクトFUKUSHIMA!」について、短い文章をある雑誌に送った。今の段階ではまだ雑誌名を公表できないが、順調にいけば来月の号に掲載される。この問題については、様々な要素を検討しなければならないため、何度かに分けて出していくことにした。まずは第一回分をまとめて入稿した。

 今日も山の手緑と議論しながらノートをつくっていたのだが、話題になったのは「風評被害」説の追認問題である。福島第一原発の爆発後、経済産業省と福島県は「風評被害」キャンペーンを開始した。多くの人はこの説に否定的か懐疑的かであったのだが、大友らはひじょうに早い段階で「風評被害」説を追認する。ほとんど鵜呑みといってよい早さだ。その判断の早さはなにからきているのか。

 ひとつには出身階層の問題がある。「プロジェクトFUKUSHIMA!」の呼びかけ人たちは、福島高校の出身者である。福島高校は、県を代表するトップクラスの進学校で、多くの政治家を輩出してもいる。大友と遠藤が「風評被害」説をいちはやく追認した背景には、彼らが福島高校出身者であることが影響していると考えられる。
 「風評被害」説は、その当初から政治的な態度表明として唱えられてきた。それは「裸の王様」を裸だとは言わないでくれというキャンペーンだった。はじめから無理があった。汚染調査の技法もなければサンプル採取の規則すら確立されていないなかで、安全性をめぐる議論ははぐらかされ、たんなる政治的要求にすりかえられてしまう。「絆」「応援」「東北を差別するな」と。
 私の友人の観測では、この件をめぐって「東北差別をするな」と声高に叫んでいるのは、仙台一高の出身者である。これは目立つ。たとえば朝日新聞の樋口という記者は、二言目には「東北差別ガー」とまくしたてるので(しかもフェイスブックで)界隈ではとてもうざがられているのだが、彼は仙台一高出身である。
 私は愛知県立旭丘高校(旧制・愛知一中)に通っていたから、こういう「地方エリート」を知っている。彼らは、県庁や銀行や大企業の椅子を約束された、地方権力の「遺産相続者」たちである。「中央」とのパイプも太い。彼らが下々の人間のことを真剣に考えるとは思われない。彼らを突き動かしているのは、己の遺産の喪失を阻止することだ。

 放射能汚染は人々から奪う。奪われるものが大きい者と小さい者とがあって、大きく失う者たちは、声を荒げて「反差別」を訴える。

 そして国にも地方権力にも代表をもたない階級は、移住を開始する。このとき、「プロレタリアに祖国はない」ということがたんなるお題目でなく事実として実践される。
 労働階級に「ふるさと」はない。それは没落する階層のみる幻想だ。