2010年12月24日金曜日

12/18海賊研報告「種子島神話」

 前回の海賊研究会は廣飯氏の研究報告。16世紀の東・南シナ海の海賊である。
 スペイン人によるフィリピン征服とこれに対抗した中国・日本海賊、南シナ海でイギリス船を襲撃した日本海賊、明の海禁政策とその実態、長崎(五島)を拠点にした密貿易と「鉄砲伝来」、豊臣秀吉がスペイン政府(フィリピン総督)に宛てた降伏帰順勧告などなど、話は多岐にわたったのでここでは要約できないが、これらは後日まとまった形で発表する予定だ。

 さて、今回私が印象的に感じたのは、鉄砲伝来にまつわる「種子島神話」の問題である。
 通常、我々が学校の教科書で習うのは、鉄砲伝来=種子島だ。
 1543年、種子島に難破したポルトガル人が鉄砲を持っていた。現地の種子島氏がこれを入手し、日本に鉄砲が伝わった。
 さてここで不勉強な私は、ポルトガル人=ガレオン船が漂着という絵を勝手に想像していたのだが、事実はそうではないらしい。ポルガル人が乗っていた船は、中国式のジャンク船である。船長は中国人の密貿易業者、というか、ばりばりの倭冦だ。明の海禁政策の下、彼らの一部は五島列島や長崎の平戸に拠点をおき、松浦隆信に保護されていた。松浦隆信というのはようするに海賊・松浦党だ。「鉄砲伝来」をもたらしたポルトガル人は、ポルトガル船に乗って漂着したのではなく、松浦党/倭冦のジャンク船に乗って漂着したのである。
 これは史学の専門家にとっては常識の部類なのかもしれないが、私はちょっと驚いた。
 ここからは私見だが、おそらく長崎の松浦党は、「種子島漂着事件」よりも以前に、鉄砲を入手していたのだ。ただ、彼らは鉄砲の製造をしなかった。鉄砲が日本で生産されてしまったら、貿易業者としてはうまみがなくなってしまうし、戦も大変なことになる。鉄砲という武器の性質を考えれば、水軍よりも山軍の方が有利になってしまうのは明らかだ。松浦党としては、鉄砲生産と軍事革命はできるだけ避けたい、避けられないとしてもできるだけ遅らせたいことだっただろう。おそらく彼らは誰よりも早く鉄砲を入手しつつ、棚にしまいこんでいた。そして多くの「日本人」は、種子島の漂着事件によって初めて鉄砲を発見したのだ。

 さて、「種子島神話」の何が問題なのか。
 鉄砲生産と軍事革命の契機になったのは「種子島漂着事件」である。鉄砲の生産に踏み出したという点で、またこの点に限って、鉄砲伝来=種子島という理解は正しい。
 問題は、伝来とは何かということである。なにかが、ここでは<鉄砲>が、あちらからこちらに伝来する。このとき、あちらとこちらを隔てる境界は、どこに設定されているのか。「ポルトガルから日本に伝来した」と言うのなら、それは史実として間違いである。「中国から日本に伝来した」というのも違う。「長崎から種子島に伝来した」というのも違うし、これならわざわざ「伝来」という必要はない。もっとも誠実な表現は、「東シナ海から種子島に伝来した」かもしれない。しかしここまで言うのなら、「伝来」という表現そのものを俎上にあげた方がよいのではないか。「伝来」という表現が前提する「国」の想像的輪郭、あちらとこちらを隔てる境界線の想像が、問題なのだ。海に国境はない。松浦党は日本人ではないし、倭冦は中国人でも日本人でも朝鮮人でも琉球人でもない。彼らはあちらにもこちらにも属していて、属していない。そういう人間はいつの時代もいて、「国」なんかよりもずっと古い歴史をもっているのだ。
 
て、ブログ書いてウダウダしてたらこんな時間になっちゃった。今夜はクリスマスイブなのに。
新宿に行かなくちゃ。




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