安倍晋三・昭恵夫妻に子どもがいたら、ここまでひどい話にはなっていなかっただろう。
ひどい話というのは、安倍の国葬をめぐる議論である。
国葬賛成派は、国葬が外交の機会になるからやるべきだ、とか、外交政治として「コスパがいい」(費用対効果がいい)などと、堂々と言っていた。
政治家の死があるていど政治利用されるということは誰もが想定している話なのではあるが、ここまであからさまに、あっけらかんと、「コスパがいい」などと言われてしまうと、安倍晋三と遺族が気の毒になる。死者への敬意などみじんも感じられない、純粋に政治の具材にされている。
安倍晋三本人については、生前から具材然とした人間だったので、まあ当然の報いだとして、気の毒なのは昭恵夫人である。夫の死を「コスパ」扱いされるという侮辱を受けても、彼女は頭が弱いので沈黙するしかない。仮に子どもがいれば、子どもの将来と名誉のために奮起するだろうが、残念ながらそれもない。
昭恵には、なにもない。
刈り取り放題である。
まるで残酷な見世物だ。