2022年8月21日日曜日

エクスキューズの自家中毒について


「私はここでロシア政府を擁護するわけではないが、しかし」云々。
「プーチン政権による軍事侵攻は決して許されるものではないが、しかし」云々。

こういうエクスキューズを言うのは、もう、ほどほどにしよう。
丁寧な議論をするためにしているというのは、わかる。理解はしている。
しかし、ちょっとやりすぎではないか。
このエクスキューズを頭におく習慣は、マイナスの効果を発揮しているように思う。問題を考える姿勢として、防衛的・消極的になっている。自己保身が先に立ってしまって、議論の中味が薄くなる。
そしてこういう習慣は、若い学生たちが真似をする。これは知的な後退を招く。反知性主義に呑み込まれてしまう。知的に誠実であろうとする態度・習慣が、反知性への道を舗装するということになりかねない。

他人から誤解されて「あいつはロシア派だ」とラべリングされるなら、それはそれでいいではないか。
私たちの多くは、社会的に影響力のある大知識人でもないのだから、必死になって守るようなものはないはずだ。
誤解する人間は何を言っても誤解するのだ。放っておけばいい。
それよりも、大事なのは、議論の中味だ。