2022年7月8日金曜日

破廉恥を共有する西側諸国

 

数日前の日本のニュース。

ウクライナのゼレンスキー大統領が、日本の大学生に向けて、オンライン講演会を行った。会場となったのは、東京の東洋大学だ。会場には300人ほどの学生が集まったという。テレビのニュース映像では、数人の学生たちに講演の感想を聞いていた。感想の内容はここではおくとして、異様だったのはその画面だ。インタビューのカメラは、学生の首から下だけを映して感想を語らせていた。一人ではない。インタビューに答えるすべての学生が、顔を映さない状態で感想を語ったのだ。

 なんだろう。まるで、犯罪報道で、犯人を知るクラスメートにインタビューをしているような画面。あるいは、風俗街の話題でストリップ劇場の客にインタビューをしているような。この学生たちは、ゼレンスキー大統領の主張に耳を傾けたにすぎない。しかしその行為は、どこか不名誉で、あるいは破廉恥で、堂々と公言することがはばかられる何かなのだ。

 

 ウクライナ政府の主張と、それを無批判に垂れ流すマスメディアの論調は、破廉恥である。破廉恥というのは、相対的な評価ではなく、絶対的な評価である。その特徴は、ベラベラとよく喋ること、過去の経緯に触れないこと、かわりに嘘や邪推をふんだんに盛り込むこと。この破廉恥さを分析し説明するには、国際政治学ではなく、女性学が適していると思う。

 「価値観を共有する西側諸国」が、この戦争を制御できなくなっている最大の原因は、彼らがロシア政府の主張を字義通りに受け止めることができないからである。「西側」はつねに相手国の声明に解釈を加え、書いてあるものを読まず、書いていないものを読み込む。この誤った解釈の機制は、性差別の場面に頻繁にあらわれるものだ。こういう解釈のゲームに浸りきると、もう自力ではどうすることもできなくなる。彼らは認知の歪みから抜け出すことができない。認知の歪みにまかせて、ゴネるか暴れるかしかないのだ。

これは、 「西側」につくかロシアにつくかというような相対的な評価の問題ではない。絶対的な評価として、「西側」は破廉恥である。