1 東京で暮らしていた義理の弟の家族が、名古屋市の北部にある一宮市に引っ越してきた。
これまで会社に出していた異動願いがようやくとおって、名古屋支社の勤務となった。私から見て姪にあたる子は、震災の年にはまだ生まれたばかりだった。奥さんは娘の健康状態に気を使いながら、三田医院で検査を受けたり富山県で長期保養をしたり、いろいろと苦労してきたが、ようやく移住が実現した。
一宮市は地元の食品が豊富にある。防護対策はかなりラクになるだろう。
2 遅い報告になってしまったが、山の手緑と東芝との労働争議は、勝利的に解決した。
3月に争議を開始して、5月に団体交渉決裂、その後ストをうち、6月に金銭による和解となった。
今回の争議はもうひとつ決め手に欠ける、勝つか負けるかわからない争議だったが、職場にのりこんでストライキを打ち、力づくで押し切った。
3 「原発おことわり三重の会」が発行する会報『はまなつめ』に文章を寄稿。
「「復興」協力の是非についての問題提起」と題して、「復興」協力をしている市民団体を批判。東海地域の反原発運動にとって関係の深い「チェルノブイリ救援・中部」という団体が南相馬市でおこなっている活動を批判した。詳細は『はまなつめ』紙の次号(33号)を参照。
ひさしぶりに運動の言葉で文章を書いて、自分の頭のなかも整理された。
なぜ私は「復興」政策に反対するのか。
「復興」政策は、公害隠しの政策だからである。
こう書いて、驚いた。こんな単純な構図を提示するために、4年もの時間がかかってしまったのだ。
自分では冷静なつもりでいたが、ずいぶん混乱していたのだ。