2023年11月2日木曜日

『万物の黎明』を読んで、知恵熱

 

 デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウの共著『万物の黎明』(酒井隆史訳・光文社)を読んでいる。興奮の内容がこれでもかこれでもかとつづくので、脳髄がグルグルで知恵熱を出した。解熱剤を飲んで休みながら、ゆっくり取り組んでいる。

 今月末11月25日に、訳者の酒井さんを名古屋に招聘してインタビューをするということなので、あんまりゆっくりもいていられないのだが、なんとか間に合わせようと思う。

 


 まず冒頭から、すごい。「なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と題された第一章は、ルソー批判(ルソー/ホッブズ批判)から始まる。18世紀西ヨーロッパの啓蒙主義思想は、人間の自由を考えるときに、なぜそれを不平等の問題に置き換えてしまったのか。自由の抑圧の問題と平等の欠落の問題とを短絡させた啓蒙主義の思想の背景をみることで、歴史をめぐる想像力の限界、誤解と偏見にまみれたヨーロッパ人の文明観をあぶり出していく。

 問題は、「国家のない太古の昔、万人の万人に対する戦争状態があった」と唱えるホッブズだけではない。ホッブズに対置して、「国家のない太古の昔、人々が助け合う原始共産制があった」と唱えるルソーの思想にも、メスを入れていく。この野心的な議論は、人類学や考古学に携わる人々のマニアックな論争ではない。ここで著者が想定しているのは、現代のラディカリズムが、グローバルなリベラリズム(ネオリベラリズム)に呑み込まれることなく、それと対抗し克服していくための思想的基盤を構築しようということなのである。

圧巻である。冒頭からすごすぎる。

 


 グレーバー/ウェングロウの問題意識を私なりに咀嚼するなら、こうだ。

  放射能汚染された地域からの退避・移住について、日本政府はいっさい支援していない。汚染地域からの住民の退避は、もっぱら私権の行使・自力救済という方法で実践されていく。東北・関東から住民が退避するという傾向は、これから本格化するだろう。福島県だけを例にとってみても、事故当時200万人であった県人口が、この12年間で約24万人減少している。このうち社会的人口減がどの程度寄与したかは一概に言えないが、すべての市町村が社会的人口減の渦中にある。汚染地域からの人口流出は今後も不可逆的に進行する。

 自主避難という行動には、受動的性格と能動的性格が重なっている。「自主避難者」は、好き好んで住処を離れたのではない。どうにもならない土壌汚染によって避難移住を強いられたのである。この意味で「自主避難」という表記にはカギカッコをつけなくてはならない。

だが、自主避難者が、環境の変化に応じて純粋に受動的に行動をしたのかというと、それも違う。私たち自主避難者が、脅威をさけるために逃げ惑う動物のような存在だと考えるなら、それは全面的に間違いである。自主避難者は、過酷な状況におかれた対象・客体であると同時に、状況を克服する主体でもある。  

 問題の焦点となるべきは、自主避難者ではなく、主体の形成である。考えられるべきは、現在汚染地域に暮らしている人々が、どのようにして自主避難者という主体に変化していくのか、そのための条件はなにか、なにが人々の行動を抑止しているのか、ということである。

 人々の行動を決定しているのは、各人の経済的条件だろうか。経済的に裕福な者が避難をして、貧しい者が避難を断念するのだろうか。これは部分的には正しそうだが、総論としては違う。観察された事実を見ても、避難の判断は、その世帯や個人の経済条件に決定されてはいない。自主避難者となるか汚染地に留まるかの分岐を、経済条件に還元することはできない。

 では、文化・イデオロギー・ハビトゥスの問題なのだろうか。自主避難者は、なんらかの文化的特性を有していたから、自主避難をしたのだろうか。これは人類学や社会学にとっては興味深いテーマだが、なかなかむずかしい。少なくとも言えるのは、静的な構造を前提にして現象を説明しようとしても、うまくいかないということだ。自主避難者はさまざまな階級・階層を横断していて、性別も属性も価値観も多様である。そして、避難という行為はその文化(ハビトゥス)を動的に変化させもするのである。

 

 この問題について私の結論を言えば、避難を可能にする条件というものは、ない。自主避難という実践を、経済条件に還元することはできないし、文化的特性に還元することもできない。

 そしてもう一歩踏み込んで言ってしまうと、日本政府あるいは日本社会が自主避難者に脅威を感じとり、口ごもるのは、この点にある。

自主避難者は、自明視され絶対視されている「社会的条件」を、克服し、客体化してしまうのである。意識的にそうする人もあれば、意識せずに結果としてこの社会を客体化してしまう人もある。避難した者も、避難を躊躇している者も、どちらも困難な条件にあることは共通している。しかし、自主避難者たちが違っているのは、汚染被害者たちに生涯付きまとうだろうと信じられていた無力感や罪悪感や閉塞感を、克服しつつあるということだ。なぜなら彼女たちは、社会から疎外された避難生活をとおして、この社会を対象化してきたからである。事故後の日本社会は、自主避難者から目を背けるか、想像的な投影の対象として眼差しを向けてきた。しかし自主避難者は、その数倍の強度と精度でこの社会を観察し、対象化してきたのである。

テレビから浴びせられる「絆」キャンペーンに人々がうっとりし国民精神が動員されているときに、自主避難者たちは、その動員の欺瞞とちょろすぎる国民たちを観察していた。「絆」キャンペーンに込められた道徳的指令、すなわち、無力感、罪悪感、閉塞感を、彼女たちが真に受けることはなかったのである。

 

 私はいま愛知・岐阜に避難した福島県民の裁判運動を支援している。この裁判では、関東からの自主避難者たちのグループが、支援運動の中核に加わっている。この運動に参加した人々が最初に感じる驚き(あるいは違和感)は、この訴訟団のメンバーがやけに明るいということだ。目にじっとりと涙を浮かべて苦しみを語る姿を想像してきた人は、その明るさにひょうし抜けするだろう。みな冗談を言ってケラケラと笑いながら、演説をし、署名とカンパを求めていく。内容は重厚でラディカルな要素を多分に含んでいるのだが、重苦しくもったいをつける態度はない。明るく淡々と、国と東電を弾劾するのである。

この訴訟が勝てるのかどうかは、まったく不透明である。だが私にとって重要なのは裁判の勝敗ではなく、この裁判運動が人々の予想を裏切る新しい態度、新しいノリを生み出したということだ。

原発事故の被害者が永遠に泣きべそをかいていたのなら、日本権力にとってなんの脅威にもならなかっただろう。だが、全国に離散した原発被害者は、多様であり、そのなかには人々の予想を超える強かな人間がいる。彼女は日本社会を観察し、日本の「国民性」や日本の「文化」を知っている。そしてそれとは違う文化をつくろうとしている。

 

 

 

 

 

2023年10月22日日曜日

思考の可否を強度で評価すること

 

 

 8月は、韓国から来日した反核活動家イウォニョン氏と80kmほど歩いた。

へとへとになって高熱も出したが、おおいに得るものがあった。

9月11日の国会前行進に向けた呼びかけの文章で、私は自分でも驚くような大胆な表現をしていた。被曝受忍政策(濃度規制政策)を指して私は、「弱く野蛮な考え」と書いていたのだった。さっき気がついた。

脱水症状につづき高熱でうなされたあとに、ひょうたんからこまというか、一線を越える表現をしてしまった。

これはいい。

道徳的な判断ではなく、また道徳を転写しただけの政治的判断でもなく、強度の審級で問題を考えること。正しいか否かではなく、強い考えか弱い考えかで、議論を評価すること。これは非常に魅力的だ。

 

とはいったものの、これはこれで、大変な道だ。

満身創痍になることは覚悟しなければならない。

しかしまあ、やるしかない。

 

 

2023年9月6日水曜日

9月11日、国会へ

  日本政府が汚染水放出を強行し、韓国政府がこれを追認するなかで、これらに抗議する韓国市民の行動に注目が集まっている。

 ソウルから東京まで1600kmを徒歩で行進する「日韓市民徒歩行進」は、9月10日に東京に到着する。最終日の11日は、新橋駅から国会まで2.2kmの行進をおこなう。

この日は私も上京して、最後の行進に参加しようと思う。

放射能汚染を放置する政府と、被ばく受忍政策を受け入れてきた日本社会に対して、弱く野蛮な考えを改めるように要求しようとおもう。

考えを同じくする人は、新橋に集まってほしい。

9月11日 14時 新橋駅西口SL広場


2023年8月28日月曜日

濃度規制ナショナリズム、又は、被ばく受忍ナショナリズム

 


 

 東京電力が放射能汚染水を放出する計画があると聞いて、韓国の市民、李元栄(イ・ウォニョン)氏が、東京に向けた行進を行っている。6月18日にソウルを出発して韓国を徒歩で縦断し、7月16日、山口県下関市に上陸。その後、中国、近畿を歩き、愛知県に入ったのは8月20日だった。

 8月20日の午後、岐阜駅を出発して、木曽川を渡り、一宮市に入った。岐阜県・愛知県では、李氏をサポートする実行委員会が作られ、反原発運動の人々が李氏と共に歩いた。

私は8月20日の岐阜駅から24日の岡崎市本宿駅まで同伴したが、ここで脱水症状を起こし、翌25日の朝には高熱を出して、リタイアした。豊橋駅まで歩きたかったが、体がついてこなかった。

この後、9月11日に東京の国会へ向かうべく、李氏はいま静岡県を歩いている。

彼の訴えはとてもシンプルだ。放射能汚染水の放出をやめろ。水で希釈する濃度規制などなんの意味もない。この問題に適用すべきは総量規制である、と。

 


現在、日本のマスメディアは、汚染水放出問題の本体を見ないで、もっぱら中国政府との外交問題として報道をしている。

ここまであからさまなナショナリズム報道は見たことがない。

問題は汚染水放出の是非であるのに、すべて中国敵視報道に置き換えてしまっている。特にみなさまの公共放送NHKが、最悪だ。日本と中国との敵対を煽るような、蔑視と敵視に満ちた報道だ。日本の濃度希釈が科学的で、中国の主張は非科学的だと、記者たちは本当に信じているのだろうか。NHKの科学部は全員バカになったのか。

いまのNHKは、国内の矛盾を国外に転嫁する見本のような、非常に危険な報道だ。

 

このナショナリズムは、昨日今日はじまったわけではない。スタートは2011年の原発事故である。政府は原子力緊急事態宣言を発令し、被ばく受忍政策へと舵を切った。次いで、福島復興キャンペーンに大量の予算を投じ、全国の人々に「食べて応援」を推奨した。福島復興の基礎となるのは、被ばく受忍であり濃度規制である。1kgあたり100Bq未満の汚染食品は流通させる、年間20mSv未満の汚染地域には住民を住み続けさせる、というものだ。この基準を我慢して受忍することが、福島復興の必要条件なのだと、政府とマスメディアは宣伝したのである。

 

問題をさらに深刻にしたのは、反原発運動の変質である。2011年以後に急速に膨れ上がった反原発運動は、その多くが被ばく受忍政策を容認した。原発再稼働に反対する市民が、同時に、「食べて応援」キャンペーンに協力するという、異常な事態が生まれたのである。被ばく受忍を容認する反原発運動とは語義矛盾に聞こえるかもしれないが、これは実際に起きたことだ。

もちろん、「食べて応援」を拒否する人々、汚染地域からの自主避難を敢行する人々は、少なからず存在した。だがそれは社会的に孤立させられた。私たち避難者は極端な考えを持つ異端とみなされた。市民運動のなかでも、なかば歓迎され、なかば腫れ物である。あるいは右翼からは「非国民」と罵られることになる。この2011年の時点からすでに、被ばく受忍ナショナリズムは始まっていたのだ。

 



韓国からやってきた李さんと5日間歩き、言葉を交わしながら、私はこの12年間を振り返っていた。

やっぱり、どう考えても、日本は異常だ。

放射能汚染は、社会をズタズタにしてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年7月5日水曜日

偽善を組み込んだ権力

 


 

 言葉には流行りすたりがあって、ある時期さかんに口にされていた言葉が急に使われなくなるということは、よくあることだ。流行語がある時期を境に死語になってしまうというのは、特に珍しいことではないのだろう。

 

 私がいま記憶をたどりながら考えているのは、「偽善」という言葉だ。

私がまだ若かったころ、高校生や大学生が交わって青臭い議論をしていたころ、「偽善」という言葉は生きていた。自分の信じる行いが、真に善行といえるものなのか、たんなる主観的なものにすぎないのか、わりと真剣に議論したものだ。30代になって、イラク反戦運動に加わったころも、「偽善」という言葉は使われていた。当時、無名の市民による平和活動やボランティア活動が注目を浴びるたびに、「偽善」という非難が飛び交っていた。ボランティアグループのリーダーは「やらぬ善より、やる偽善」などと言って反論していたものだ。

私の記憶では、2009年の民主党政権成立時には、まだ、「偽善」という言葉が使われていたように思う。

ところが現在は、「偽善」という言葉をまったく耳にしなくなった。口汚く論争することで有名なネット掲示板を見ていても、誰も「偽善」という言葉を使わない。「偽善」は、死語になっている。

この10年ほどの間に、どのような変化があったのか。

 

日本人の全体が知的に成熟し、善悪という概念から解放されたのだろうか。そうなれば喜ばしいことだが、残念ながらそうではない。おそらく起きている事態は、善悪からの解放(善悪概念の揚棄)ではなくて、善悪の陳腐化である。善は信じられていて善行は行われているのだが、それが重みを失っているのだ。

 陳腐化の兆候はすでに2000年代にはあらわれていた。ボランティア活動の中心的なグループが、「やらぬ善より、やる偽善」といった功利主義的な論理をもっていたわけだから、ボランティア活動の意義と正当性は、その方針であるまえに、動員力・実行力にかけられていたわけだ。だから、その行為の意義がほとんど信じられていないのに人や資金が動員されるという事態も、起きうるのである。

 

 2010年代の出来事として決定的であったのは、東日本大震災にかかわる復興ボランティア活動だ。ここで民主党政権がおこなったのは、災害復旧のためのボランティア動員を、福島県や宮城県の放射能汚染地域にも適用したことである。ボランティア活動が含み持っていた翼賛的性格が、このときむき出しになった。政府の号令に呼応したボランティアグループは、自ら被ばく地帯に赴き、福島県・宮城県の被ばく受忍政策を支援したのである。

  このとき、放射能汚染の事実が知られていなかったわけではない。誰もがそれを知っていて、福島「復興」の非現実性を指摘する人々も少なからず存在した。私も、福島に向かおうとする友人に向けて、考えを改めるように強く警告した。

私が我慢ならなかったのは、若者たちの自己犠牲的行動が、東京電力と日本政府と原発推進派の福島県政を助けるような方向に操作されていることだった。原発事故の後始末は原発を推進してきた連中だけでやるべきなのに、なぜ責任のない若者たちの命が削られなければならないのか、ということだ。原発推進派はどさくさに紛れて責任の付け替えを行い、福島「復興」を全国民の責務にしようとしたのである。

 こうした権力の策動を積極的に受け入れたボランティア団体は、たんなるお人よしでは済まされない。ただのマヌケでもない。権力に迎合して人々を動員する戦争機械である。「復興」ボランティアは、原子力官僚制という国家装置の全体に活力を与える戦争機械になったのである。(※1)

まったくおぞましい光景だ。

 

 

 2011年以降のボランティア活動の変化をみれば、なぜ私たちが「偽善」という言葉を使わなくなったのか、ひとつの説明がつく。

そもそも「偽善」という批判が成立するためには、批判者がその対象をあるていど善だと感じ取っていることが前提となる。ある行為が善行だと信じられているからこそ、その批判者は「偽善」という言葉を使わなければならないのである。もしもボランティア活動に「偽善」という批判が向けられないのだとすれば、それはその活動が批判者にとって善行だと信じられていないのである。

善悪は陳腐化し、行為の正当性が真剣に議論されることはなくなった。

福島「復興」政策においては、誰も自信をもって正当だと言えない状態のまま、「食べて応援」キャンペーンが続けられたのである。

 

※1 ”戦争機械”と”国家装置”の概念については、ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリの著書『アンチ・オイディプス』及び『千のプラトー』を参照。

2023年6月10日土曜日

原発問題をめぐる抵抗感について

 


 

 原発事故の賠償請求訴訟に支援者としてかかわって、5年ほどたつ。

全国に30ほどある賠償請求訴訟のなかでも、名古屋の訴訟団はとくに明解な運動方針を打ち出し、注目を集めている。しかし、裁判闘争への支持がひろく集まっているかというと、まだ端緒についたばかりという段階だ。

原発問題について人々は積極的に関わろうとはしない。事故から12年たって問題が風化したから、というのではない。争点が複雑で理解が難しい、というわけでもない。争点はむしろ単純で、説明する余地がないほどだ。

ではなぜ人々は原発問題に触れようとしないのか。問題は、政治やイデオロギーよりも深い地層にあって、これを理解するには社会学的な分析を必要とするだろう。あるいは、精神分析を援用した「分裂分析」(ガタリ)のような手法が必要になるのかもしれない。おそらく現在の日本社会を覆っているのは、複雑な政治対立ではなく、対立の不全である。

 


2011年3月から現在まで、日本は原子力緊急事態宣言下にある。原子力緊急事態宣言下では、原子力基本法は死文化している。原子力基本法では、一般公衆の放射線被ばくは禁止されているが、緊急事態宣言下では公衆の被ばく受忍が容認され、推奨されてもいる。政府は年間20mSV未満の放射線被ばくを認め、重汚染地域への住民帰還政策を進めている。また、1kgあたり100Bq未満の汚染食品は流通可能になっていて、これを拒否すると「風評加害だ」といって論難されるのである。

こうした被ばく受忍の基準(実際には基準なき被ばく放任だが)について、国会で議論されたことは一度もない。政府は被ばく防護を被ばく受忍へと書き換える、決定的な方針転換をしたのだが、国会でこれが議論されたことは一度もない。すべては内閣府の権限で、一方的に、上意下達に、被ばく受忍の政令が発せられているのである。緊急事態宣言下では、これは「合法」となっている。そして内閣府が宣言を解除するまで、「緊急事態」が続くのである。

 

 自民党政権の安保政策を批判する集会に行って、この話題をふってみるといい。驚くほど無反応である。安保の「緊急事態条項」の違憲性について精密に論じている人々であっても、原子力緊急事態宣言の違憲性については、口ごもる。「緊急事態」と称した行政権力の暴走を批判するにあたって、原発問題はこれ以上ない事例だと思うのだが、人々はなぜかこの問題を避けようとするのである。

問題は、この緊急事態宣言が福島「復興」政策と一体であるということだ。福島「復興」は、被害地住民と全国民の被ばく受忍を前提に組み立てられている。原子力緊急事態宣言を解除してしまうと、福島「復興」というプランは根本から再検討する必要に迫られることになるのだ。


 

2012年、民主党・野田政権が号令した福島「復興」政策は、問題だらけである。

問題点を三つあげる。

問題の第一は、放射性物質を蓄えた福島第一原発の封じ込めが完了しないまま、福島「復興」という目標を掲げたことである。事故から12年たった現在も、福一の封じ込めはできていない。汚染地域の除染作業をおこなっても、再び福一の崩壊が起きれば元の木阿弥である。

第二に、「復興」事業の達成期限がない。何年までに復旧を完了させ、事故前の生活に戻るというゴールが、まったく示されていないのである。だから、事故から12年たった現在でも「復興は途半ば」という状態で、今後おそらく数十年は「途半ば」を言い続けることになる。

第三に、最大の問題は、「復興」事業の責任主体が限定されていないことである。放射能汚染を被った地域を元の状態に復旧させるというのは、非常に危険で困難な作業なのだが、政府はこれを東京電力ではなく被害住民にやらせてしまっている。また、全国から復興ボランティアを動員し、あたかも国民全体が福島復興の主体であるかのような構図をつくりあげてしまった。野田政権は、災害復旧に取り組んできたボランティア活動の手法を、原子力公害の復旧作業にも援用したのである。それがもたらした効果は、復旧への寄与ではなく、復旧の責任主体を曖昧にすることであった。全国民が福島再生に取り組むという美しい物語によって、政府と東京電力の責任は曖昧にされ、誰も彼もが無責任になってしまった。結局、土地を離れることのできない被害住民だけが、いつ完了するかわからない「復興」にむけた自助努力を強いられているのである。被害住民は12年もの間、がんばろうがんばろうと応援され続け、危険で無謀な試みを引き受けさせられてきたのだ。東京電力の不始末の尻拭いを被害住民にやらせることが、美談になったのだ。本末転倒な話だ。

 

話を冒頭に戻そう。安保法制の緊急事態条項に鋭く反応する反戦派(あるいはリベラル)の人々が、なぜ、原子力緊急事態宣言の問題には口ごもってしまうのか、だ。

原子力緊急事態宣言を批判することは、すなわち同時に、福島「復興」政策の異常性を議論の俎上にあげるということである。そして人々が本当に避けているのは、「復興」政策の是非を議論することなのである。

もう少し踏み込んで別の言い方をすれば、福島「復興」政策を信じているか信じたふりをしている人々の社会的合意を基礎にして、原子力緊急事態宣言下の行政権力の暴走が可能になっているのである。この構図は、「復興翼賛体制」と呼ぶべきものだとおもう。

福島と原発をめぐる国の政策は、問題だらけである。批判的に検討すべきものが山ほどある。しかし福島「復興」への翼賛が、あるべき議論を抑制し、結果として不問にしてしまうのだ。

 

私たちが権力との対立の焦点とするべきは、ここである。

被ばく受忍を美談に仕立て上げた福島「復興」政策に、正面から対決しなければならない。

 

 

2023年5月31日水曜日

混乱はあるが、絶望はしていない

 

日本共産党は、党内の選挙で党首を選ぶべきではないか、党首選挙を行うことで党内の議論が公開され、そのことが党の求心力を高めるのではないか、という議論について。

 私は共産党員ではないので横から口を挟むことはしたくないのだが、傍観者として感想を言うなら、問題は党内民主主義の形式であるよりも、党の科学主義が空洞化しつつあるということなのではないかと思う。党の科学主義が求心力を失っていることが、「民主主義」の形式の問題として表出したのではないか。

私たちのような無政府主義者からみれば、「党首公選制」など議論に値しないまったくナンセンスな提起なのだが、そうした提起がなされてしまう程度に、共産党の科学主義(啓蒙主義)が衰弱してしまっているのだろう、と解釈している。

 

 今回の共産党の騒動は、時代の趨勢をあらわす一つのエピソードとして見るべきだと思う。時代の趨勢とは、反科学主義・反啓蒙主義が、「民主主義」の主張をまとって攻勢を強めているという状況である。

アメリカでは地動説や進化論を否定する宗教右翼が大統領選挙に強い影響力をもち、日本でもやはり反科学的な宗教右翼が政府の政策決定に影響力を行使している。19世紀の宗教右翼は民主主義を抑圧したが、現代の宗教右翼は「民主主義」を標榜し、多数決の議会制度によって科学主義と対抗するのだ。

私たちは古い観念にとらわれていて、科学と民主主義をニアイコールで結んでいる。しかし現代はそうした構図が通用しない。論ずるに値しないような反科学的な主張が、民主主義を要求するという形式で、声をあげているのである。現代は、科学的・啓蒙主義的な態度が「民主的でない」「専制的な態度」とみなされうるのだ。

 

 

 科学の論争も、民主主義をめぐる論争も、すべて裏返ってしまったように混乱している。

科学的には通用しない純粋に政治的な主張が、「科学」を僭称して科学者たちを圧迫する。歴史研究や放射能汚染問題においては、科学的に正当な見解が「非科学的」と論難され、非科学的な専門家のつぶやきが「科学」の権威をまとって喝采を浴びるという、ひどい状況である。

 

 大変な時代だな、と思う。

しかし、絶望はしていない。

科学と民主主義を結びつける確固とした経験を、私は経験したからだ。それは多くの人々の集団的な経験としてあって、そのことを誰も忘れていないからだ。