最近はYOUTUBEの配信に注力していて、ブログをまったく更新していなかった。
ということを知り合いに教えられたので、ちょっとだけノートを書きます。
少し前の話題だが、ある女性アナウンサーがSNS上で「おじさんの臭いががまんできない」旨の発言をし、“炎上”。このアナウンサーが事務所との契約を解除されるという出来事があった。うん。
また別の場面では、トランスジェンダーの権利をめぐって、公衆浴場や公衆便所での入場規則が議論になっている。これもけっこう大きな論争である。うん。
また別の場面では、在日外国人に対する悪質なデマゴギ―が流布され、右翼による執拗な排除運動が繰り返されている。
各論における私の見解は別の機会にするとして、いまここで考えたいのは、現代の社会を特徴づける排除イデオロギー・排除型社会の動機についてだ。
排除型社会の構成について、経済学の角度からは二つのことが言えると考えている。
1,
産業資本の後景化
2,
非物質的労働の増大
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産業資本の後景化
かつて資本増殖の中心は産業資本であった。石炭採掘、鉄鋼生産からはじまり、機械・輸送機械・電機といった工業生産が、資本蓄積の中心を占めていた。しかし産業資本の時代は長くは続かなかった。日本では1970年代から変化が始まり、不動産・情報・観光・文化産業が成長していく。なかでも大きく成長したのが不動産部門である。
不動産は金融商品となって、使用価値よりも交換価値が重視されるようになる。生活領域に人種的・観光的価値が入り混じり、都市のジェントリフィケーションが進行する。清潔で、安全で、人種主義的に「美的なもの」が、不動産収益の条件に求められるようになる。
産業資本が大衆を動員し包摂する性格をもっていたのに対し、不動産(金融)事業は選別・排除の性格を持つ。ここで収益性の要になるのは、動員ではなく排除である。
2,
非物質的労働の増大
物質的労働(工業労働)は、分業と分業によって実現した作業の標準化・計量化を基調としていた。これはテイラー主義と呼ばれている。労働は時間によって計測され、賃金は労働時間と対応するように制度化されていた。
しかし現在増大している非物質的労働は、作業が不定形で、作業量を時間で計量することができない。さまざまな質の労働が入り混じりながら、必要な手間が際限なく増大し続け、それを割り与えられたわずかな人員でこなさなくてはならない。作業手順は標準化できないし、時間で計測することもできない。労働の強度(労働者の疲労)が考慮されることがない。
こうした労働の態様は、農家や家事労働と似通ったものになる。作業量に対して人員は常に不足していて、予期せぬ問題があらわれては消え、作業は際限なく増殖し、労働者間の作業の押し付け合いが常態化する。これはテイラー主義で秩序づけれていた賃労働とはまったく違う。家事労働に近い環境だ。
労働者間の作業の押し付け合いとは、言い換えれば、職場の小さな政治が常態化し激化していくということだ。これは、核家族化に至る以前の農家で嫁と姑と小姑が繰り広げていた衝突が、現代的なオフィスで再現されるということである。
現代のオフィスで働く労働者は、他責的で排他的な思考に親しんでいる。「おじさんの体臭がくさい」という発言が、大人が言っていいことなのか、言ってはいけないことなのか、賛否が拮抗するくらいわからなくなっているのは、それだけ労働者が排他的な思考に親しんでいるということだ。
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