2015年3月8日日曜日

放射能汚染と視覚表現



 私の盟友である山の手緑が、絵かきとしての活動を再開する。
彼女はめったに絵を描かない人なのだが、名古屋で一年暮らし、「風景の死滅」を体感し、これはもう描かなければ次に進めない、と確信したらしい。そのモチーフとコンセプトはまだ明かすことはできないが、かなり野心的だ。どんな作品がでてくるのか、いまから楽しみだ。

 さて、視覚表現の陳腐化について。
 それが始まったのは原子力発電所が爆発する以前だったのか以後だったのか、正確には言えない。ただ、原子力発電所の爆発によって、その傾向が明白になったということは確かだ。
 デジタルカメラとインターネットの普及によって、視覚表現はとても手軽になった。同時に、視覚表現は過剰になり陳腐化した。
 例えば、写真つきのブログというものは、登場した当時は画期的だと思われたのだが、しだいにありふれたものになり、いまではちょっとダサいものになった。いや、最新技術というものはつねに陳腐化の脅威にさらされているのだから、写真つきブログの衰退はそのレベルの話にすぎない、と言うかもしれない。うん。たしかにそうなのだが、ここで問題にしたいのはそこではない。インターネットにおける視覚表現の陳腐化は、たんに表面的な手法が飽きられたということにとどまらない、もう少し深い地層の変動と結びついていると思われるからだ。
 インターネットを離れてもうひとつ例を挙げると、「ゆるキャラ」ブームというのがある。いまはもう流行っていないのかもしれないが、全国の自治体がオリジナルのキャラクターをつくって、イラストや着ぐるみで地域のPR活動に利用したものだ。このブームが示したのは、視覚的な表現はそれ自体で自律してしまうことがありうるということだ。つまり、伝える表現方法と伝えるべき内容とが分離してしまって、ひどい場合にはアピールする内容も理由もないのにキャラクターをつくってしまうという、よくわからない現象が起きてしまったのだ。
 視覚表現に訴えなければ伝わらない、しかし、視覚表現があることで伝えるべき内容が失われてしまう。そんな矛盾した事態がうまれている。

 2011年の3月に起きたことを振り返ってみよう。
私たちは、東日本沿岸部の町が津波に呑み込まれる映像を見て、原子力発電所が爆発する映像を見た。このとき報道は極端に視覚的になり、そうすることで、破局的な事態がおきていることを世界に伝えた。同時にそのときから目に見えない汚染は始まっていた。人々が津波と爆発の映像を凝視しているあいだに、視覚的に伝えることのできない放射性物質が東日本に降り注いでいった。私たちは視覚表現の過剰のなかで、見えるものを見ているだけでは充分でないという状況に置かれたのである。

 その後、伝えるべき内容を欠いたままに、視覚表現が勝利する。
福島県の美しい風景。汚染された土地のおいしい食材。その土地で懸命に生きる人々。
あるいは、原子力政策に反対する数万人のデモンストレーション。汚染された街で抗議の声をあげる人々。
 放射性物質が目に見えないものだということは、誰もが知っていた。しかし報道機関は、不可視であるものを伝える努力よりも、可視的なものをてっとりばやく伝えることを優先した。カメラを持ち込める場所でカメラの前にたつ人々を映し、カメラに映すことのできない人々を映さなかった。彼らジャーナリストはこう釈明するかもしれない。ニュースの受け手はつねに視覚的な表現を求めているのだ、と。そう。それもまた事実だ。人々は視覚表現に飢えていて、なんでもかんでも写真を要求する幼児退行に陥っている。たしかにそれはそうかもしれない。
 しかし、こうも言える。
人々はむさぼるように写真を眺めつつ、この視覚表現の勝利によって、伝えられるべきもっとも重要な内容が失われていることを知ってもいる。見えるものだけに目を奪われていてはいけないということを、なかば自覚している。放射能汚染はそのような教育効果をもたらしたのだ。
 2011年の事件以後、見えるものをただ信じるという素朴な態度は終わった。
私たちは以前よりもずっとシニカルで、批評的になった。