原水禁大会、福島で7月開幕
原水禁国民会議などは7日、今夏の原水爆禁止世界大会の開幕集会を7月31日に福島市で開く方針を決めた。福島第1原発の事故を受け、「フクシマ」を原点に広島、長崎、沖縄まで続く一連の大会で「脱原発」の訴えを掘り下げ、広げる。
世界大会は例年、広島、長崎両大会と国際会議を開催。今年は原発に依存してきた社会を問い直す転換期と位置付け、「核と人類は共存できない」との根本に立ち返って議論を深めようと、大会内容の大幅な変更を検討してきた。この日までに福島の地元組織からも内諾を得たという。
福島大会には福島第1原発事故の被災者やチェルノブイリ原発事故(旧ソ連)の被災者、被爆者らを招き、「脱原発」を提起。8月4~6日の広島大会、7~9日の長崎大会では原発の周辺住民への影響や原発作業員の被曝(ひばく)などを取り上げる。広島市で5日にある国際会議も原発を議論の柱とする。
世界大会の日程は17日に開く実行委員会で正式決定する。
(6月8日 中国新聞)
原水禁はどういうつもりなのか。
「核と人類は共存できない」と訴える団体が、なぜ福島大会なのか。この大会に誰をどれだけ動員するのか。若い学生たちにも福島大会参加を呼びかけるつもりなのか。
福島のはかりしれない被害を訴え、迅速な汚染調査・避難措置・防護措置を政府に要求し、民間レベルでも避難を援助すべきときに、まるで政府・福島県の安全宣言に加担するような動きである。
主張と行動がちぐはぐだ。何を考えているのか。
追記
私の若い友人と女性の友人には、絶対に福島には行かせない。こんな集会は百害あって一利なしだ。
「じゃあ福島の人はどうしたらいいのか、福島市民を見捨てるのか」と言う声が聞こえる。
その言葉はそのまんま返そう。おまえらが物見遊山の冷やかしの自己満足集会をやって、福島の政治状況が少しでも良くなるのか。その大会は、政府・自治体を1ミリでも動かすことができるのか。福島がかならず復興できるのだと、責任を持って言えるのか。
いまできるのは、福島県民の避難を促すことしかない。福島第一原発の蒸気が収束するまで、畑をブルーシートで覆って避難するしかない。そのための実態調査、世論づくり、行政交渉、資金調達が必要なのだ。だいたい国民運動づらしてる自治労やら日教組は、なぜ福島のために時限ストひとつうたないのか。ストをうてないなら、せめて金を出せ。