東京電力による放射能汚染問題は、放射性セシウム・放射性ストロンチウムを基準にして300年は続くものです。プルトニウムを基準にすれば、20万年は続きます。平野部分の回復は、これよりももっと短いものになるかもしれませんが、山林と海洋は長く毒性を保持し続けることになるでしょう。人間は、これまであまり問題にしないできた新しい環境と対峙することになりました。私たちは酸素が希薄な場所では生きられないように、放射線濃度の高い地域では生きられないのです。この汚染を技術的に克服する手段は、現在のところ存在しません。
人間の棲息環境が大きく変わってしまったという事実に、私たちは驚きました。想像を超える途方もない事態に、面食らったのです。しかし事件から6年も経った現在、そろそろ面食らっている時期も過ぎたのではないかと思います。いつまでも泣き言を言っていても始まらない。日本列島は陸地の三分の一を失い、太平洋を失ったのです。この事実は動かない。いまは慟哭している老人たちも、十年後には死に絶えます。私たちは未来に向かってどのように歩むのかを考えなくてはならないのです。
これからの思想に必要とされるのは、新たに現れた疎外と対峙しながら、この疎外に親しみ、疎外から力を引き出すことです。ここで私が言うのは思想の内容ではなく、姿勢の問題です。考える際にとるべき構えです。腹を据えて、ハートを強くもつこと。広域放射能汚染というこの巨大な疎外を、むしろ楽しんでみることです。
原子力時代のアナキズム、原子力時代の共産主義、原子力時代のフェミニズム、原子力時代の革命主義、原子力時代の陣地線論、原子力のテクスト分析、原子力時代の生‐権力、放射能汚染時代のサバルタン、等々、なんでもいいんです。いま私たちは、新しい知性が生みだされるまったく新しい条件に立ったのです。この機会を捉えずに、ただうなだれたり、腕をこまねいていたりするのなら、理論作業なんていらない。ただただ嘆いて神仏を拝んでおればよい。
もう嘆くのはやめて、次の時代の話をしましょう。
私は新しい議論の、新しい星図の、一つになりたいのです。