4ヵ月かけて準備してきた共産研8月集会が終わり、事後の作業を進めています。
作業の合間に、ファレル・ウィリアムスの『HAPPY』を聴いています。
この曲、ファンキーなリズムに透きとおったファルセットボイスをのせて、2014年に大ヒットした名曲。
歌詞の内容は、こうです。
今から言うことはどうかしちゃったと思うかもしれないけど、
こんないいお天気だから、ちょっと休もうよ。
宇宙まで行く熱気球になったみたい。
大空の中では、何も気にしないよ baby。
だってハッピーだから。
部屋に天井がない感じになったら、手を叩こう。
だってハッピーだから。
幸せってのは本当なんだって感じたら、手を叩こう。
やりたかったのはこれって判ったら、手を叩こう。
すごい歌詞ですね。
これ、薬物でラリっているように見えるかもしれませんが、ラリっているのではありません。ヤケになって挑発しているようにも見えますが、ただ挑発したいというのでもない。
まじめに生きようとする人間が、まじめすぎてまじめの向こう側に突き抜けてしまった先に、倒錯的なものの力に触れる。なにが“HAPPY”なのかというと、自分自身が持っているこの倒錯的なものの力を発見したことが、HAPPY。こうなるともう薬物にたよる必要はありません。いつでもどこでも自家発電できてしまうわけですから。
悲しみと孤独と絶望をくぐった先に、誰もいない道端で、ただひとりで、ニヤニヤと笑みを浮かべる人間が生まれるのです。フェリックス・ガタリが「狂気になること」と言ったのは、もしかしたらこういうことなのかもしれません。
『HAPPY』ファレル・ウィリアムス