2021年4月30日金曜日

オストロイテおよび紅一点グループに対する性暴力糾弾闘争について

 



 2021年2月以来、紅川ひみこ氏は、リベルタン/オストロイテ/紅一点にたいする性差別性暴力糾弾闘争を開始している。私は、紅川氏が告発するこの事件に強い関心をもって注視してきた。

 これまで私は、紅川氏が名古屋に居住している関係で、彼女の主張だけを耳にしてきた。問題の性暴力事件について私が知っている情報はとても偏っている。だから、一方の言い分だけを聞いて判断するわけにはいかないと考え、この事件について態度を保留してきた。性暴力事件があったのかなかったのか、あったとしたらどのような経緯で事件が起きたのか、私は未だ真相を知らない。

 

 ところで今月、紅川氏に対して、東京の弁護士事務所から内容証明郵便が届いたという。土田元哉弁護士を代理人として、オストロイテから紅川氏にたいする警告が通知された。

その内容を読んで、私は、リベルタン/オストロイテ/紅一点における性暴力事件は実際にあったのだと確信をもった。なぜなら彼らの主張には、紅川氏が告発している性暴力事件について一切言及がなかったからだ。紅川氏の告発に一切触れないというだけでなく、オストロイテのメンバーが紅川氏からどんな被害を受けたかということが延々と書かれているのである。この様態を見るに、彼らは完全にアウトだと思う。

 

なぜそう考えるのか。

一般的に言って、加害者は主観的には被害感情をもっていて、自分が与えた相手の被害よりも、自分が受けた被害を過大に主張するという傾向がある。客観的な視点を失い、自分自身の抱く被害者意識に呑み込まれている、あるいは、被害意識に逃げ込んでいる。

例えば、児童虐待に通じた医師は、診察室にきた親の態度を観察して、虐待か否かを推測するという。

正常な状態にある親は、子供が怪我をしたのは自分の注意不足だと考え、自責の念にかられている。自分がもっとしっかりしていれば子供が怪我をすることはなかったはずだと、激しい後悔に苛まれている。これが正常な親だ。

虐待をしている親は、自責の念をもたない。子供が怪我をした原因を、自分以外のどこかに見つけようとしている。そして自分は大変厄介な子供を抱えた被害者なのだと感じている。そんな親の言葉には、もっぱら被害感情の訴えばかりがあって、自分に非があったかもしれないという後悔の言葉がない。

また別の例をとれば、ストーカーもそうだ。ストーカーは、加害意識ではなく被害意識に動かされて、ストーキング行為をエスカレートさせていく。その行為によって相手がどのような被害を被ったかを、加害者はまったく知らないし、知ろうともしない。つまり起きている事態を客観視することができない。

 

 オストロイテ/紅一点の代理人から送られてきた文書には、なぜ紅川氏が彼らを糾弾するにいたったかが記されていない。性暴力事件の隠蔽が糾弾されているという事実を、客観的な視点で記していない。虐待する親やストーカーに似た認知の歪みが読み取れる。おそらく、紅川氏の告発は真実なのだろう。

私はこれからオストロイテ/紅一点に対する糾弾闘争に合流しようとおもう。