2020年3月26日木曜日

これはトリアージではない




 新型コロナウイルス(COVID-19)について、326日現在のメモ。
 世界的な流行をみせている新型コロナウイルスは、各国の権力の様態を映し出す鏡のようなものになっている。
 権力の様態には、二つのタイプ、二つの極を想定することができる。

 1、中国とフランスは、緊急事態宣言を発動して強力な規制をすると同時に、大規模な検査、医療措置、社会保障を実行した。この強権的な措置は、一方の極、“生権力”の形態を示していると思われる。

 2、アメリカ合衆国、日本は、“生権力”とは対極にあたる棄民政策にでた。大規模な検査をおこなわず、事態を放置するというやり方だ。


 日本における棄民政策は、新自由主義政策下の医療再編を下地にしている。医療費削減のためのトリアージ(患者選別)である。トリアージは、医療措置の放棄を正当化する論理として利用されてきた。

 トリアージとは、医療資源を有効に活用し生存者を最大化するためにとられる方法だ。助かりそうにない重傷者への医療措置を放棄することで、その分の時間・労力・医療資源を他の患者に振り向ける。そうして全体の生存者数を向上させる。この方法はフランス軍の野戦病院で始まったものだが、新自由主義の緊縮政策は、この野戦病院の方法を平時の医療サービスに適用し、医療現場の再編をはかってきた。そのため、日本の医療体制には充分な余裕がない。ぎりぎりまでやせ細っている。「検査をすると医療崩壊がおきる」というのは、今次の感染問題に限ったことではなくて、日本政府はずっと以前から医療体制をやせ細らせていたのである。日本政府が棄民政策をとることはある意味必然で、他に選択肢がないからだ。

 いま日本で判明しているのは、新自由主義緊縮政策が繰り返し唱えてきた「トリアージの論理」が、実際には破たんしているということだ。
トリアージとは、生存者を最大化するための方法である。教科書的には、そうだ。しかし、いま起きているのは、まったく反対の事態だ。ぎりぎりまでやせ細った医療体制を守るために、検査を拒否する。そうして市中感染を引き起こす。これは、生存者を最大化するのではなく、最小化してしまう(破たんした)”トリアージ”だ。