森友学園の怪しい土地取引をめぐって、国会がにぎやかである。国会の質疑や証人喚問を見ていると、どんなお笑い番組よりも楽しい。前回選挙で議席を増やした共産党が、質問時間を長くとれていて、とてもよいと思う。
森友学園問題は、かつて繰り返されてきた汚職議員の疑惑とは、少し違っている。この事件は、たんに政治家の汚職という範疇に収まらない、もっと大きな不正の構造に到達するかもしれない可能性をもっている。
現在の野党による追究は、形式的には、政治家がどのように財務省に働きかけたか、という視点でおこなわれている。ここでは、事件の主犯は政治家であるという想定で、真相究明が求められている。
だが、質疑が進むにつれて、政治家が主犯で官僚が従犯という想定は、しだいに崩れつつある。私たちの脳裏に浮かんでくるのは、この事件の主犯は財務省官僚なのではないか、という疑念である。これから明るみになっていくだろうことは、たんに自民党議員だとか日本維新の首長だとかの汚職ではなくて、財務省の行政官が何を企て実行してきたかということだ。
脳裏に浮かぶのは、行政官たちが政治家の意思を待たずに独断で動いている姿である。選挙で選ばれた議員たちの内閣は、たんに行政官が与える「飴」と「鞭」で操縦されているだけなのかもしれない。そうした構図が私たちの脳裏に浮かぶのは、2011年以降の権力の様態を見ているからだ。
2011年「原子力緊急事態宣言」の発令は、一種の戒厳令状態を生み出している。公衆の放射線防護対策の指針は、被曝防護から被曝受忍へと180度転換したのだが、この重大な政策転換は、立法府の議論を待たず行政府だけで強行された。食品と物品のクリアランス基準は、法ではなく省令によって強行された。議員立法である「チェルノブイリ法」は、全会一致で可決されたが、行政府が運用を拒否し、たなざらしにされている。2011年以降、行政府と立法府のバランスは完全に崩れた。行政権力の専制的性格が露出しているのである。
「原子力緊急事態宣言」以後、秘密保護法案、安保法制、共謀罪といった法案が次々と強行成立されている。そうした流れのなかで、森友学園問題はたんに与党と野党の党派闘争ではなく、行政権力そのものに焦点をあて、告発する、新たな論争を生み出すものになるだろう。自民党のうしろにいる行政官に注視しよう。