栗原康くんから献本をいただきました。ありがとう。
死してなお踊れ 一遍上人伝
栗原康 著
河出書房新社
いつものことですが、内容について言及はしません。
それよりも、海賊史研究の菰田真介くんと一緒に愛媛県を遊び歩いていたそうで、うらやましい。とても良いことだと思います。旅をしながら考えることは、楽しいし、思わぬ成果があります。
さて、この本については措くとして、今回はすこし耳の痛い話をします。小言です。
君ももう充分に本を書いて名をあげたから言いますが、そろそろ東京から撤退してはどうでしょうか。きっとその方がよいと思います。
問題は、関東の放射能汚染ですが、これはいちいち論じるまでもないことです。爆発事故の直後、埼玉県羽生市と群馬県太田市の児童公園を、何日もかけて一緒に計測してまわったのですから、汚染問題についてはあらためて言うまでもないでしょう。
私が東京から撤退するべきだと言うのは、もうひとつ別の理由があります。
現在の出版界から距離をとることです。出版界と密接になりすぎてはいけない。それは、書くことを控えるためではなくて、5年後にも10年後にもしっかりと書けるように準備を進めるためです。
現在の出版界から距離をとることです。出版界と密接になりすぎてはいけない。それは、書くことを控えるためではなくて、5年後にも10年後にもしっかりと書けるように準備を進めるためです。
編集者というのは短期的な作業をしている人たちですから、5年後や10年後の見通しを持っているわけではありません。今年なにがあたるかを考える人たちです。そういう人たちと付き合いながらシーンに身を置くことは、良いことです。それはそれでよい。しかし書き手として考えておかなければならないのは、それであと何年もつのか、です。
いまの人文シーンは、はっきり言って老化しています。読者の中心は、老眼鏡をかけたおじいさんとおばあさんです。この人たちが棺桶に入るころ、シーンは変わる。大きく変わる。そのときに、新しい読者にむけて、何を書くことができるのかです。これはこれできちんと準備しておかなければならない。新しい趨勢のなかに身を置いて、新しい空気を吸って、新たな焦点となるものを準備することです。
もうながなが言わなくても、わかっていると思います。
アナーキーの思想は、旧いものでありながら、つねに新しい。慎重さばかりでなく、豪胆さが要求される思想です。