2021年の東京オリンピックの公式映画を委託された映画監督が、前代未聞の醜態をさらしている。この問題は、NHKの放送法違反問題にまで及ぶだろう。受信料で運営されるNHKが、荒唐無稽なデマ・都市伝説を堂々と流したのだ。見ているこちらが恥ずかしい。
監督の怯えた目が印象的だ。
河瀬監督らの怯えた目は、日本の現在を象徴するものだと思う。彼らは怯えていて、なんでもいいから心を落ち着かせるグルーミングを求めていて、真偽の疑わしい与太話や都市伝説にすがるのだ。
この現象の直近の起点となっているのは、2011年、原子力公害事件後のパニックである。前例のない大規模汚染という事態に際して、日本政府は汚染問題の過小評価に力を注いだ。原子力基本法は棚上げにされ、被曝線量基準は大幅に引き上げられた。原発安全論に立っていた経産省は、爆発後は放射能安全論を唱えだした。
民間の学者や市民も、多くが放射能安全論に追従して、荒唐無稽な説を信じるようになった。ある者は「にこにこと笑って免疫力を挙げれば人体汚染は相殺できる」と言い、ある者は「放射能を浴びればかえって健康になる」と言い、ある者は「水の入ったペットボトルを並べれば放射線を遮蔽できる」と言い、まったく愚にもつかない与太話が蔓延したのだ。
なぜか。彼らは政府・経産省の判断と号令を信頼していたのだろうか。そうではない。彼らは怖かったのだ。自分が信じてきた常識が壊れてしまったこと。問題を自分の目で見て、考えて、判断すること。権威や権力を離れて、一人の自立した主体として立つことが、恐ろしかったのだ。主体として立つぐらいなら、弱い者同士で与太話を語ってグルーミングしあう方がいいのだ。
私は河瀬監督の怯えた目を見て、おもわず噴き出した。
あの目は、2012年、放射能汚染がれきの前で空間線量計を振り回して演説していた細野豪志環境大臣(当時)の、あの時の目と一緒だ。完全に判断力を失っている。どれだけ正当な批判を受けても、彼自身にはもうどうしようもないのだ。