2019年7月17日水曜日

テレビ番組をみてあーだこーだ言うのはちょっとあれだけど


 木村草太という憲法学者がテレビで喋っていた。彼はこれまで改憲問題に反対の立場から発言を続けてきた学者である。自民党がたくらむ緊急事態条項新設の危険性を訴えてきた学者だ。
この番組のなかで、テレビ局の記者がちょっとした質問をする。
記者「このような緊急事態条項のようなものは、現行法では他に存在するのか?」
木村「ない。災害救助法に類似したものはあるが、それ以外にはない。」
 このやりとりは、本題である9条改憲そのものには関わらない、補足的な情報の紹介として、これ以上議論されることなく終わった。

 うーん。

 まず事実として、この木村発言は間違いである。「ない」どころではない。おおありだ。私たちがいま渦中にある、原子力災害特別措置法、原子力緊急事態宣言である。
 2011年から今日まで8年間、日本は原子力緊急事態宣言下にある。この緊急事態宣言は、原子力災害特別措置法に基づいて内閣が発令し、以後、内閣が解除するまで効力をもつ。原子力緊急事態宣言下では、原子力災害対応のすべてを内閣の政令によって決定・実施することができる。住民の避難措置・防護措置は、国会の議論や採決を経ることなく、内閣総理大臣の一存で決めることができるのである。

 この8年間ずっと論争の的になってきたものを列挙しよう。汚染食品の流通問題、汚染ガレキの処分方法、汚染土壌の再利用問題、避難者と「自主避難者」(補償対象外)との線引き、公衆の年間被曝線量を20mSVに書き換えたこと、除染事業の是非、福島汚染地域への住民帰還強要政策。これら諸政策の考え方と基準値の設定は、内閣の政令によって行われている。1キロあたり100ベクレルの食品を流通させることや、年間20mSVの高線量地域に住民を帰還させることは、内閣の政令で決定されてきた。福島復興政策・帰還政策は、立法府の手の届かない場所で、行政府の専権事項となっているのである。
 2016年3月の衆議院では、「原子力緊急事態宣言はいつ解除されるのか」という質問が出ている。これにたいして内閣府は、「解除する見通しはたっていない」と答弁している。おそらくずっと解除されないだろう。なぜなら、福島帰還政策が依拠している年間20mSV基準は、原子力基本法にもどこにもない、緊急事態宣言下で出された政令にすぎないものであって、もしも宣言を解除すればとたんに違法となってしまうものだからである。政府・福島県が、県内に住民をとどめおこうとするかぎり、緊急事態宣言は永遠に解除されない。そして日本列島の全住民が、1キロあたり100ベクレルの汚染食品を食べさせられることになる。

 わたしはここで、年間20mSVや1キロあたり100ベクレルという基準が安全か危険かという議論はしない。議論するまでもない。ただここで確認しておきたいのは、そのような異常な被曝状況を許す法律は存在しないということだ。現在の異常なまでに緩和された基準と方法は、原子力緊急事態宣言下で行政府が恣意的に決定・強行したものを、我々が一方的に受け入れさせられているのである。

 自民党の改憲策動は、民主主義制度を破壊するものだという主張は、正しい。この憲法学者の見解に異論をはさむ余地はない。だがそう主張するときに、いま進行している福島復興政策の専制的なありようを忘れてしまうのなら、画竜点睛を欠くというものだ。主張に芯が通らないちぐはぐなものになってしまう。
 行政権力の暴走は、将来起きるかもしれないことではなくて、すでに8年前から始まっている。
いま私たちは、緊急事態宣言下の専制の渦中にある。
このことを忘れてはいけない。
 

追記
 以上にしめした問題は、一人の憲法学者の見落とし、認識不足ということではない。これは現在の日本の左翼全般が抱える問題である。この8年間、日本の左翼は福島復興政策に呑まれてしまって、そこに明白にあらわれた専制権力と対決することができなかった。その認識のたち遅れが、今回の木村発言に反映されているのだとおもう。