今年は2018年。
自民党は「明治150年」と言い、新左翼諸兄は「〈68年〉から50年」(全共闘・ベトナム反戦運動から50年)と言う。
いろいろと歴史を振り返る年なのだろうが、私はがぜん「米騒動100年」である。今年歴史を振りかえるといったら、米騒動ぬきにはありえない。米騒動は日本左翼の原点であるし、近代社会の原点とも呼びうるような歴史的事件だ。「米騒動」と口にするだけで、もう、わくわくする。
そういうわけで今年は、富山県で行われる連続学習会『米騒動100年プロジェクト』に、毎月行こうと思う。これまで4月・5月と参加してきたが、やはり富山の人たちは米騒動に詳しい。勉強になるし、議論にも前向きで、話が尽きない。
次回は6月9日(土)。ぜひ一度富山まで足をのばして、米騒動とその後の100年を語り合いましょう。
さて、「米騒動は日本左翼の原点である」と書いてしまった。大見得を切ったからには、米騒動とは何であるかを書かなければならない。
しかしこれが難しいのである。米騒動の歴史的位置付け、しかも左翼として米騒動を位置付けるというのは、これが簡単なようでなかなか難しい。
私たちが米騒動というとき、それは1918年の米騒動のことを指している。日本史上最大の都市暴動へと発展した最後の米騒動である。これは当時から力の複数性と横断性をはらんだもので、単一の視点・単一の力学で「米騒動は○○だ」と述べるのは困難なものである。力の複数性、複合性、意図を裏切って生成変化する力の性質を、深く考えさせられる事件だ。
端的に言えば、当時の知識人たちは、社会主義者も含めて、みんな面食らったのである。大杉栄など一部のアナキストは喜んで暴動に加わったらしいが、それは例外的なことだ。知識人はみな米騒動に驚き、了解不能の状態に陥った。大衆の暴力が、知識人たちの小さな理性を乗り越えていったのである。
現代においても、米騒動の解釈は論争含みである。米騒動の解釈は、解釈者の政治的な立場によっていくつかありうるのだが、どれも決め手を欠くというか、一面的な理解ではすぐにぼろがでてしまうところがある。だから米騒動を論じる際には、特段の慎重さが必要になる。平面的にではなく立体的に理解すること。直線的にではなく、ねじれとうねりを描くことが求められる。
これが難しいし、わくわくするところだ。
米騒動は、複数の顔をもっている。
たとえるなら、一枚の絵に美女と老婆が描かれていて、視点のとり方でどちらにも見えてしまうようなだまし絵。あるいは、角度を変化させることで、まったく違った二つの表情を見せるカード。上下を反転させると別の顔が現れる逆さ絵。そうしただまし絵のように、米騒動は複数の顔が同時に描きこまれた事件である。
米騒動の複数の顔とはどういうことか。
まずは全国で暴動が起きているということがある。性格の異なる地域で、性格の異なる民衆闘争が、横断的に連鎖していった。暴動の本丸は神戸・大阪の商社本店であるとして、はじめは富山県の米積み出し港で、次に大阪・神戸・名古屋などの工業都市で、最後は九州の炭鉱へと舞台を移していく。急激に膨張した近代都市の、周辺部で、次に中心部で、そして再び周辺部へと、暴動が連鎖していったわけだ。
米騒動の発端となったのは、富山県の水橋港・滑川港・魚津港の米騒動である。これを当時の新聞は「富山の女一揆」と書いている。この富山県での闘いは、現代から振り返ってみれば、最底辺女性労働者たちのストライキであったと解釈できるわけだが、当時の新聞はこれを「一揆」という江戸時代の表現で報じた。社会主義者であれば「罷業(ストライキ)」と書いただろうものを、当時の記者は「一揆」と書いたのである。
この表現は正しかったとおもう。もしここで「罷業」と書いていたら、米騒動は日本全土をまきこむ都市暴動には発展しなかっただろうと思う。この「一揆」という近世的表現が、当時の民衆・大衆を奮い立たせ、同時に、知識人を困惑させる原因にもなっただろう。
この表現は正しかったとおもう。もしここで「罷業」と書いていたら、米騒動は日本全土をまきこむ都市暴動には発展しなかっただろうと思う。この「一揆」という近世的表現が、当時の民衆・大衆を奮い立たせ、同時に、知識人を困惑させる原因にもなっただろう。
ここで急いで付け加えておかなければならないのは、当時の社会主義者たちが米騒動にまったく寄与しなかったのかというと、そうではないということだ。
1918年米騒動にいたる以前の段階で、労働者の闘いは始まり、近代的な労働者組織がつくられつつあった。前年のロシア労農革命が人々に与えたインパクトも、無視できない要素である。近代思想の紹介・普及・手探りの実践が1918年の米騒動を準備した、ということもできるのである。
だが、ただ近代社会主義思想のみで米騒動が実現したかというと、それもまた間違いになる。事態はもっと複合的だ。米騒動は、近世的な理念・エートスと、近代的な理念・エートスとが、複合し、反応しあうところで発火したのである。
(つづく)