まずイベントの告知を二つ。
名古屋では矢部・山の手が、大阪では園良太くんたち避難者が、それぞれのイベント・集会を企画しています。
みなさんこぞってご参加ください。
さて。
私がかつて東京で一緒に動いていた人々、そして現在も東京で活動を続けている人々が、ある組織問題に直面しているということは、聞いています。何件か問い合わせがありましたが、この件について私は特に知っていることはないので、具体的なコメントはしません。介入もしません。
個別の問題を脇において、全体状況をにらみながら言うべきだろうことは、いま私たちが直面している困難は、長期的なものになるだろうということです。
いま東京では組織内の問題を解決するための試みや討議がなされていて、それは主観的には重要な作業ではあるのでしょうが、客観的には、原子力公害によってひきおこされる社会の崩壊過程のうちに一つのエピソードをつけ加えているにすぎません。
おそらく多くの人々が抱いている感覚、「こんな問題は、結論がどちらに転んだとしても、なにも良くはならない」という感覚は、正しいのです。
私はこの出口の見えない状況を、「核の冬」と呼ぼうと思います。私たちはいま、「核の冬」に呑み込まれています。この「冬」は、物質のレベルでの被害にとどまらない、上部構造にある社会の諸関係をも破壊していく「冬」です。
2011年以降、国家から発して社会全体を呑み込んでいった巨大な嘘が、私たちの体温を奪い、無力感と疑心暗鬼を蔓延させてしまいました。もう、誰も信用できません。身のまわりの誰もが欺瞞的で、国家の権威に服していて、背信行為を働いている。放射能汚染が安全だなんて誰も考えていません、そして、SNSでそれぞれが正しい主張を書きます、しかし、この放射能公害との闘いが何世代にもわたる長い闘争になるだろうことを想像したとたん、彼は口ごもり、目の前のどうでもよい関心事に話題をむけてしまうのです。
放射能汚染という大きなスケールを前にしたとき、誰もが刹那的で自暴自棄な態度にさせられてしまいます。国家が繰り返すその場しのぎの政策を批判してきた見識ある人々ですら、放射能公害に関してはその場しのぎの態度にさせられてしまうのです。政治闘争がいまほど刹那的で近視眼的なものになってしまった時代は、かつてないと思います。こうした状況を、私は、「核の冬」と呼びたいと思います。
「核の冬」の猛威から逃れるためには、東日本を離れるしかないと思います。
大阪の園くんも移住者の受け入れ体勢を整えています。
まずは下見がてら、名古屋と大阪に遊びに来てください。