「歴史のくずかご」という表現がある。
「○○を歴史のくずかごへ叩き込め」なんて言い方をする。
若いころは壮大でかっこいい表現だなあと感じていたが、実際にくずかごの実物を見てみると、まったく見栄えのしないものだ。
まあ、そうだよね。歴史のくずかごの中身は、くずかごに投げ入れられるべくして投げ入れられたものなのだから、壮大でも美的でもない。
叩き込む、なんて美しいやりかたではない。目をそむけ、鼻をつまみながら、しかたなく立ち会うものなのだ。
ところでここで唐突に予言をしたい。
2017年内、あるいは年度内に、阪大の菊池誠は発症するね。菊池誠というのは、「炉心溶融」と「メルトダウン」は違うという主張をしている菊池誠である。
菊池誠のメンタルヘルスは、もう、ぎりぎりである。あとひと押しツイッターで小突かれたら、発症する。悪くすると、死ぬね。そして彼が死んでしまったら、誰も彼のことを振り返らない。彼が何をしたか、何を言ったか、彼が存在したことすら、忘れてしまう。
2017年内、あるいは年度内に、阪大の菊池誠は発症するね。菊池誠というのは、「炉心溶融」と「メルトダウン」は違うという主張をしている菊池誠である。
菊池誠のメンタルヘルスは、もう、ぎりぎりである。あとひと押しツイッターで小突かれたら、発症する。悪くすると、死ぬね。そして彼が死んでしまったら、誰も彼のことを振り返らない。彼が何をしたか、何を言ったか、彼が存在したことすら、忘れてしまう。
まったく同情しない。
当然だと思う。