『既成概念をぶちこわせ』のまえがきに、編者のひとり杉村昌昭氏はこう書いている。
本書を企画するきっかけは、編者のひとり境毅氏が、若い人たちが「社会運動」の歴史をあまり知らないので、若い人たち向けの「社会運動事典」のようなものをつくれないかという相談をしに、昨年夏私のもとを訪れたことである。
境毅とは、関西の老活動家である。長年「榎原均」という筆名で書いていたから、その名前の方がわかる人が多いと思う。
で、問題はこの「社会運動事典」に掲載されている「デモ活動」という項目である。Tという著者が書いた「デモ活動」の文章はこうだ。
大勢の人たちがデモに参加したのは、1960年の安保闘争にはじまる。この時は労働組合は、動員費が支払われた組織動員であったが、学生運動の方はクラス討論を積み上げて、学生大会でストライキやデモ参加決議をあげて参加し、学生自治会が運動の中心であった。安保条約改定の強行採決以降、この運動はより一層広範な人々の担うところとなり、原水爆禁止運動から始まっていた市民運動の人たちも運動に参加した。安保闘争後デモに人が来なくなり、運動が停滞していた時に、ベトナム反戦運動を呼びかけたベ平連がこの安保闘争末期の市民運動を復活させ、そして再び1970年に反政府運動は昂揚し、労働者は反戦青年委員会の運動、学生は全共闘運動を起こし、また武装闘争も取り組まれた。しかし、当時のデモ参加者たちは、デモが終わると、デモが終わると日常生活に戻り、秩序のうちに回収されていた。それもあって、その後2011年の原発事故までは、大規模なデモはみられなくなっていた。
あのね。
一文一文が、すべてまちがい。
書き出しにある「1960年の安保闘争にはじまる。」、これは重大なまちがい。最後にある「その後2011年の原発事故までは、大規模なデモは見られなくなっていた。」、これもまちがい。社会運動史の断片を切り取っているというだけでなく、嘘まで書いている。ひどい文章だ。
誰が書いたのか知らないが、よくこんなものをボツにしないで通したな。まったく呆れてものが言えない。このTという学生が本当に実在するかどうかわたしは知らないが、この特殊な歴史観は普通の学生じゃないだろう。ウィキペディアを見てコピー&ペーストしたら、こういうストーリーにはならない。ただものを知らない学生が書いたというのではこういう文章にはならない。
これは、特殊な老害左翼が学生の耳元に珍説を吹き込んだか、二人羽織で書いたかの、どちらかだ。ていうか、これ、ほとんど榎原均だろ。
やってくれたな。
わたしはこの「事典」の共著者として、二つの項目を書いている。で、よくわからない老害の自己宣伝に付き合わされてしまった形だ。なんで私や山の手緑や、太田さんや天野さんが、共産主義者同盟の特殊な歴史観の、そのなかでも劣悪な部分に付き合わされなければならないのか。こういうものを放置すると私の評判に傷がつくので、はっきり言っておくが、この「デモ活動」という項目は書き直しだ。0点だ。
まず戦後の公安条例の成立とその契機となった阪神教育闘争について勉強するべきだ。大衆デモが60年安保闘争から始まるなんて珍説は、とんでもない自民族中心主義だ。自民族中心主義による歴史修正だ。
ばかものが。