2016年1月25日月曜日

メシアニズムの克服



2011年の放射能公害事件から5年目になる。
この間に起きた混乱と、混乱の収束について、振り返っておくのもよいと思う。


私からは一点だけ。社会運動自身が被った混乱について。


 2011年から12年にかけて、全国で反原発運動が拡大し、そのなかで原子物理学者である小出裕章氏が「運動」のスターになった。13年以降は目立った発言はなかったが、まだ「小出信者」は残存していた。そして2016年現在、小出裕章氏の影響力はほとんどなくなったと言ってよい。
 小出裕章ブームとは何であったのか。総括的に言うならばそれは、混乱期におけるメシアニズム(救世主主義)の表れだったと言えるだろう。
 振り返ってみれば、彼の発言は最初から説教師じみていた。聴衆に罪責感を与え、贖罪の方法を提示し、現実に起きている課題と軋轢を棚上げにした。唯物的に対処すべき課題に、観念的な解決策を提示して、議論を混乱させた。
科学者を称する者が非科学的な提言を行ったという意味で、小出裕章は山下俊一の対称に位置している。

 2011年に小出裕章が「老人は食べるべき」と発言したとき、私は強い焦りをおぼえた。この発言は反原発運動をめちゃくちゃにしてしまう、と。だから必死になって小出批判を展開したわけだが、あれから4年を経て、事態はなんとか収束に向かっている。小出ブームは長続きせず、すっかりすたれた。日本社会の理性は、最悪の事態を回避した。
 混乱期に登場したメシアニズムは、大衆の理性によって克服された。この大衆的な理性の力に、われわれの希望がある。