デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウの共著『万物の黎明』(酒井隆史訳・光文社)を読んでいる。興奮の内容がこれでもかこれでもかとつづくので、脳髄がグルグルで知恵熱を出した。解熱剤を飲んで休みながら、ゆっくり取り組んでいる。
今月末11月25日に、訳者の酒井さんを名古屋に招聘してインタビューをするということなので、あんまりゆっくりもいていられないのだが、なんとか間に合わせようと思う。
まず冒頭から、すごい。「なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と題された第一章は、ルソー批判(ルソー/ホッブズ批判)から始まる。18世紀西ヨーロッパの啓蒙主義思想は、人間の自由を考えるときに、なぜそれを不平等の問題に置き換えてしまったのか。自由の抑圧の問題と平等の欠落の問題とを短絡させた啓蒙主義の思想の背景をみることで、歴史をめぐる想像力の限界、誤解と偏見にまみれたヨーロッパ人の文明観をあぶり出していく。
問題は、「国家のない太古の昔、万人の万人に対する戦争状態があった」と唱えるホッブズだけではない。ホッブズに対置して、「国家のない太古の昔、人々が助け合う原始共産制があった」と唱えるルソーの思想にも、メスを入れていく。この野心的な議論は、人類学や考古学に携わる人々のマニアックな論争ではない。ここで著者が想定しているのは、現代のラディカリズムが、グローバルなリベラリズム(ネオリベラリズム)に呑み込まれることなく、それと対抗し克服していくための思想的基盤を構築しようということなのである。
圧巻である。冒頭からすごすぎる。
グレーバー/ウェングロウの問題意識を私なりに咀嚼するなら、こうだ。
放射能汚染された地域からの退避・移住について、日本政府はいっさい支援していない。汚染地域からの住民の退避は、もっぱら私権の行使・自力救済という方法で実践されていく。東北・関東から住民が退避するという傾向は、これから本格化するだろう。福島県だけを例にとってみても、事故当時200万人であった県人口が、この12年間で約24万人減少している。このうち社会的人口減がどの程度寄与したかは一概に言えないが、すべての市町村が社会的人口減の渦中にある。汚染地域からの人口流出は今後も不可逆的に進行する。
自主避難という行動には、受動的性格と能動的性格が重なっている。「自主避難者」は、好き好んで住処を離れたのではない。どうにもならない土壌汚染によって避難移住を強いられたのである。この意味で「自主避難」という表記にはカギカッコをつけなくてはならない。
だが、自主避難者が、環境の変化に応じて純粋に受動的に行動をしたのかというと、それも違う。私たち自主避難者が、脅威をさけるために逃げ惑う動物のような存在だと考えるなら、それは全面的に間違いである。自主避難者は、過酷な状況におかれた対象・客体であると同時に、状況を克服する主体でもある。
問題の焦点となるべきは、自主避難者ではなく、主体の形成である。考えられるべきは、現在汚染地域に暮らしている人々が、どのようにして自主避難者という主体に変化していくのか、そのための条件はなにか、なにが人々の行動を抑止しているのか、ということである。
人々の行動を決定しているのは、各人の経済的条件だろうか。経済的に裕福な者が避難をして、貧しい者が避難を断念するのだろうか。これは部分的には正しそうだが、総論としては違う。観察された事実を見ても、避難の判断は、その世帯や個人の経済条件に決定されてはいない。自主避難者となるか汚染地に留まるかの分岐を、経済条件に還元することはできない。
では、文化・イデオロギー・ハビトゥスの問題なのだろうか。自主避難者は、なんらかの文化的特性を有していたから、自主避難をしたのだろうか。これは人類学や社会学にとっては興味深いテーマだが、なかなかむずかしい。少なくとも言えるのは、静的な構造を前提にして現象を説明しようとしても、うまくいかないということだ。自主避難者はさまざまな階級・階層を横断していて、性別も属性も価値観も多様である。そして、避難という行為はその文化(ハビトゥス)を動的に変化させもするのである。
この問題について私の結論を言えば、避難を可能にする条件というものは、ない。自主避難という実践を、経済条件に還元することはできないし、文化的特性に還元することもできない。
そしてもう一歩踏み込んで言ってしまうと、日本政府あるいは日本社会が自主避難者に脅威を感じとり、口ごもるのは、この点にある。
自主避難者は、自明視され絶対視されている「社会的条件」を、克服し、客体化してしまうのである。意識的にそうする人もあれば、意識せずに結果としてこの社会を客体化してしまう人もある。避難した者も、避難を躊躇している者も、どちらも困難な条件にあることは共通している。しかし、自主避難者たちが違っているのは、汚染被害者たちに生涯付きまとうだろうと信じられていた無力感や罪悪感や閉塞感を、克服しつつあるということだ。なぜなら彼女たちは、社会から疎外された避難生活をとおして、この社会を対象化してきたからである。事故後の日本社会は、自主避難者から目を背けるか、想像的な投影の対象として眼差しを向けてきた。しかし自主避難者は、その数倍の強度と精度でこの社会を観察し、対象化してきたのである。
テレビから浴びせられる「絆」キャンペーンに人々がうっとりし国民精神が動員されているときに、自主避難者たちは、その動員の欺瞞とちょろすぎる国民たちを観察していた。「絆」キャンペーンに込められた道徳的指令、すなわち、無力感、罪悪感、閉塞感を、彼女たちが真に受けることはなかったのである。
私はいま愛知・岐阜に避難した福島県民の裁判運動を支援している。この裁判では、関東からの自主避難者たちのグループが、支援運動の中核に加わっている。この運動に参加した人々が最初に感じる驚き(あるいは違和感)は、この訴訟団のメンバーがやけに明るいということだ。目にじっとりと涙を浮かべて苦しみを語る姿を想像してきた人は、その明るさにひょうし抜けするだろう。みな冗談を言ってケラケラと笑いながら、演説をし、署名とカンパを求めていく。内容は重厚でラディカルな要素を多分に含んでいるのだが、重苦しくもったいをつける態度はない。明るく淡々と、国と東電を弾劾するのである。
この訴訟が勝てるのかどうかは、まったく不透明である。だが私にとって重要なのは裁判の勝敗ではなく、この裁判運動が人々の予想を裏切る新しい態度、新しいノリを生み出したということだ。
原発事故の被害者が永遠に泣きべそをかいていたのなら、日本権力にとってなんの脅威にもならなかっただろう。だが、全国に離散した原発被害者は、多様であり、そのなかには人々の予想を超える強かな人間がいる。彼女は日本社会を観察し、日本の「国民性」や日本の「文化」を知っている。そしてそれとは違う文化をつくろうとしている。