2017年7月28日金曜日

闘争の時間を意識すること



 まずはじめに、中国の思想家孫子の、有名な一節を参照することから始めよう。

孫子曰く、
「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」(謀攻篇)

 中国史に親しんだことのある人なら、一度は耳にしたことのある一節だろう。
 敵と会戦をして勝利することが最善なのではない。そうした勝利は、自軍の将兵にとっては手柄をたてるチャンスであるかもしれない。だが、大局的観点で戦争を考えるなら、会戦とはあくまで次善の策にすぎないものである。目指すべき最善の勝利とは、敵軍にも自軍にも会戦の機会を与えずに、目的を成就することである。

 現代人は、戦略という概念をもっていて、戦術的勝利と戦略的勝利とを分けて考えることができる。だから現代の我々は、この一節をあたりまえのこととして、つい聞き流してしまう。だが、もうすこしここにとどまって、この一節が何を言っているのか、掘り下げて考えてみよう。

 戦争を考えるなかで、孫子は重大な発見をしている。その発見とは、ある部隊、ある軍団、ある旅団が、戦うことなく敗北することがある、という事実である。敵と戦って敗北する、というのなら、まだ素人にも想像できる素朴な話である。だが現実の戦争はもっと複雑だ。現実の戦闘では、戦わないで敗北する、戦う機会すらつくれずに敗北する、ということがあるのだ。
 孫子の兵法が卓越しているのは、軍の姿を静的に捉えることをやめて、軍の行動可能性に着目したこと、軍事行動を動的編成として把握したことである。言い換えれば、軍をもっぱら空間的に把握することをやめて、時間の観点を導入したことである。
 軍事力とは、兵員の数や武装の質といった、目に見える威容のことではない。軍事力とは、戦況によって刻一刻と変わる、軍の行動可能性、潜在的な可能性の総体である。軍事の核心は、今日の戦闘でどれだけ戦果をあげたか、ではない。今日の戦闘を終えたあとに、明日、明後日、翌週、どのような行動をとることが可能になっているか、である。今日の戦闘によって、明日以降の行動の選択肢が増えているかどうか、その潜在的な可能性の推移が、軍事の核心である。
 こうした観点にたって戦争を言い換えるなら、戦争とは、自軍の潜在的行動可能性を増大させ、敵軍の潜在的行動可能性を縮小させることである。そして、軍の行動可能性が最小化した究極の状態が、「戦う機会すら与えられない」という状態である。
 孫子は、「戦う機会すら与えられない」という状態を、偶発的なものとは考えていない。それは、人為的に、戦略的に、生み出すことができるものである。だから彼は、むやみに会戦をするのではなく、まずは敵が身動きできない状態をつくりだせ(そうすれば自軍の消耗を回避できる)と言うのだ。

 ここで孫子が要求しているものについて、もう少し考えてみよう。
 孫子は、戦争を静的にではなく動的に、空間的にではなく時間的に、把握しようとした。戦争の思考は、兵員数や占領地域といった、空間的な把握によって足りるものではない。戦争を考えるということは、戦争の時間を考えるということだ。
孫子にとって、戦争の空間的要素は、時間に置き換えられるものである。兵員数も、地形も、風向きも、すべて時間に置き換えて把握されるべきである。軍師は、軍の空間的な配置を設計しなければならない。だがそれだけでは足りない。軍師が空間的な配置を通じてさらに考えなければならないのは、軍の時間的な配置を設計することだ。時間の配置とは、敵軍が攻撃にでる機会を封じ、自軍が攻撃する機会を最大化することである。孫子が要求する軍略とは、空間に働きかけることではなく、時間に働きかけることである。
 戦争は、究極的には、偶発性に支配されている。のるかそるか、出たとこ勝負であることを避けられない。だが、軍略はその場しのぎではいけない。自他の軍が、明日、明後日、翌週に、どのような時間を経験することになるのかを、あらかじめ考え、配慮しなければならない。軍事行動の持続を考えること、自軍が潜在的な行動可能性を再生産できるようにしておくこと、さらには、潜在的な行動可能性が拡大再生産されるような機会をつかむことである。
 小さな局地的戦闘が、その戦術的勝敗の結果によらず、戦略的優位性を生み出すということがある。自軍の潜在的な行動可能性が拡大するという展開である。そうした仕方で戦闘の再生産が始まったとき、敵は戦うたびに追い詰められ、打つ手打つ手が自軍の勝利に結びついていく。孫子によればこれは、賽の目を転がすような偶発的な出来事ではない。勝利の条件は、会戦の前にあらかた決まっている。その条件は、戦争の時間(持続)を意識する者だけが把握できるものである。


 さて、ここまでは前振りです。
 紀元前に書かれた孫子の兵法が、現代にも読み継がれているのは、なぜでしょうか。その最大の理由は、孫子が徹頭徹尾世俗的で、現実主義だからです。
 古代から現代にいたるまで、戦争は信仰と結びつけて遂行されてきました。戦争はしばしば神頼みであったり、神の意志と考えられたり、「聖戦」とされたりするものでした。
孫子は、戦争と信仰とを切り離し、徹底的に世俗的な冷めた視点で、戦争を考えました。孫子にとって、死は無価値です。生きることだけが価値です。自己犠牲を神聖化したり、戦死者を「英霊」としたりするような宗教的行為は、孫子がもっとも嫌うものです。そんな馬鹿なことをしている人間は、戦争に勝つことはできないのです。
 戦場におかれた人間が考えなければならないのは、まず第一に生き延びることです。生き延びることができなければ、次の作戦を遂行することができないからです。生きることは、潜在的な行動可能性を保持することです。
 孫子が現代に生きていたら、もっと冷酷にこう言うかもしれません。逆もまた真なり、と。潜在的な行動可能性を保持できていないのなら、それは死んだも同然である。死んでいない、戦闘態勢にある、というだけでは不充分、どのように闘うかという選択肢を複数もっていなければ、存分に生きているとは言えない、と。


 私は2011年の3月に東京を離れ、多くの友人や同志に、東京からの撤退・移住を呼びかけてきました。私の行動を見て、「矢部は戦線を離脱した」と捉えた人々もいたかもしれません。それは誤解です。私はこの6年間、一度も戦線を離脱したことはありません。私は東京で行われる局地的な作戦に合流しなかったというだけです。あの首相官邸前の、反射的で長期的視野を欠いた行動に、合流する気にはなれなかったのです。2017年のいまだから言いますが、大方が予想したとおり、東京のお祭り騒ぎは終息しました。
 我々と日本政府との闘争は、これからが本番です。
この闘争は、闘争の時間を意識し、闘争の再生産を意識したものになります。まずは、汚染地域を避けて、生きのびることです。私たちは生きて、子供たちに伝えていくのです。そして、新たに戦線に加わる若者たちと共に、新しい作戦を次から次へと立案しなくてはなりません。
 いまも東京にとどまっていて、手も足も出ない状態だと感じている人は、ただちに移住をするべきです。すでに大阪では、新しい運動が始まっています。大阪への移住を推奨します。

 

2017年7月14日金曜日

田原さんの新刊

田原牧さんから献本をいただきました。
ありがとうございました。


『人間の居場所』 田原牧著 集英社

旧知の田原さんが精力的に本を書いていて、うれしいです。彼女が体を壊していないということが確認できて、そのこと自体はいいのだが、さて、オビがね。
姜尚中氏の推薦はいいとして、高橋哲哉の推薦はなあ。
まずいなあ。これは、うーん、マイナスだなあ。
彼女の表情がすこしばかり固くなってしまっているように見えるのは、このあたりの、うーん、、、いらないよねこの推薦。

まあ、高橋哲哉問題は今後じっくり話すとして、名古屋に来たらまた飲みましょう。

2017年7月11日火曜日

いわき市の木材ペレット工場が計画断念

<遠野興産>国内最大級ペレット工場建設中止

 木材チップなど製造の遠野興産(福島県いわき市)が、福島県いわき市遠野町上遠野で2月に着工した国内最大級の木質ペレット工場の建設を中止する方針を固めたことが4日、分かった。住宅や学校に近く、24時間稼働に伴う環境悪化を住民が懸念。東京電力福島第1原発事故の影響で、木の乾燥用ボイラーの排ガスに含まれる恐れがある放射性物資を不安視する意見も根強かった。

◎放射性物質に住民懸念

 工場は地元産などの未利用木材を活用。破砕・圧縮して粒状にした木質ペレットを年間最大約3万トン生産し、主に石炭火力発電所の混焼燃料向けに供給する計画だった。
 中野光社長は取材に「住民の皆さんの理解を得られないと判断した。全国から見学者が来るような工場だったが残念だ」と述べた。
 計画を巡っては6月、住民らが「遠野の環境を考える会」を結成。住民集会を開いたり、反対署名を集めるなどしてきた。
 約250人が参加した集会では、「なぜ地区の中心部に造るのか」といった声が続出した。福島県内の樹皮や皮付きチップを1日約40トン燃やして木の乾燥に利用するボイラーに関して、「(放射性物質濃度が)基準値内と言っても理解されるのか」といった指摘も出た。
 会社側は、濃度の低い樹皮などを使い、フィルターによる処理も行うため、排ガス中の放射性物質が検出限界値未満になることや監視態勢を説明。6月下旬には操業中の別の工場見学会も開いたが、賛同は得られなかった。
 考える会会長で地元行政区長の山村全信さん(69)は「苦渋の決断をしてもらった。遠野興産は地元企業。今後はまちづくりで協力したい」と話した。
 計画は事業費約20億円。国の津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金で半額を賄う予定だった。同社は今後、木質ペレット製造の新体制や工場予定地の活用法を検討する。
 ペレットの需要はバイオマス発電の拡大を背景に増大しているが、安価な輸入品の利用が多い。国産の競争力向上には生産規模の拡大が必要といわれる。
 (河北新報 201775日)

 このニュース、朗報なのだが、気になるのは中止決定の速さである。
 6月に住民の反対集会があり、翌月7月には計画中止を発表している。速い。
 もともと成立する見込みのない計画だったということだろうか。
 詳細はわからないが、「復興」政策の無計画ぶりをあらわすエピソードだ。