福岡の森元斎くんから献本をいただいた。ありがとう。
失礼は承知で言うのだが、私はこれまでたくさんの献本をもらってきたが、私より若いやつがどんな本を書いたところでたいしたことはねえ、と思っていた。
それは口に出しては言わない。大人だから。
でも、たいした内容は書いてないんだから。
まあ、はっきり言うが、私はいまの30代の書き手をなめている。
しかし今回は違う。
これは、やばい。
『具体性の哲学』なんて売れなそうな退屈そうなタイトルなのに、書き出しの1ページ目から文章の「圧」がすごい。
まずい。
私の自尊心が崩れていく。
しかもこいつはパンクである。以前、一度だけカラオケをやったから知っているのだが、森元斎はパンクだ。そしてさらに、こいつは移住者だ。2011年の3月に命からがら東京を脱出した「放射脳」の哲学者だ。
こういう書き手は怖ろしい。
なにを言い出すかわからない。
やばいやばいやばい。
gkbrgkbr。
どうか森元斎が暴発しませんように。
2015年11月24日火曜日
2015年11月4日水曜日
視覚の支配が終わるとき
スペクタクルの社会は、人間が視覚情報と数字に翻弄される社会である。メディア制度によって観客化された人々は、可視的なものを重視し、可視的でないものを無視してしまう。視覚表現の氾濫は、誰も抗うことのできない趨勢のように思える。いまや誰もがカメラとモニターを持ち歩き、一日に何度も画像を送受信している。
昔を知っている人は思い出してほしいのだが、いまから15年前、自民党小泉政権の政治手法が「劇場型政治」と呼ばれたとき、そこには、「表面的で深みのないもの」「芝居がかった嘘くさいもの」という批判的なニュアンスがこめられていた。そうした批判意識は、一部の教養人だけでなく一般的に共有されていた。しかし現在ではどうだろう。政治家の芝居がかったパフォーマンスは、とてもありふれたものになっていて、いちいち批判されることもなくなってしまった。小泉政権のおこなった「ワンフレーズ政治」は、当時ひどく不誠実な態度として受けとめられたが、現在の安倍政権に比べればかわいらしいものに思える。
私が問題にしているのは現在の自民党だけではない。自民党と対決すべき批判勢力が、平板で通俗的な「劇場型政治」に傾いていないかということだ。
2011年以降、左翼の街頭行動は頻繁に大規模になっていったが、それはいつからか、写真と数字(動員数)をアピールする道具になってしまっているのではないか。新聞やテレビやインターネットに配信される画像の仕上がりから逆算して、人間が画像にふさわしい演者として振る舞うように仕向けられているのではないか。課題をめぐるディテールの分析や時間のかかる概念的作業を避けて、メディア制度に受け入れられやすいワンフレーズを求めていないだろうか。これは、いいすぎだろうか。
2012年。ある還暦を過ぎた共産主義者は、国会前の大衆行動の渦中で、「これは60年安保闘争の再来だ」と言った。半世紀前に敗北した安保闘争をもう一度やり直すのだ、と。このような連想は特殊なものではない。おそらく彼以外の少なくない人々が、60年安保闘争を想起していた。ここには、2012年の国会前行動の思想的限界があらわれていると思う。
考えてみてほしい。2012年に生じていた課題と闘争は、60年安保闘争に似ていただろうか。大衆運動の数多ある歴史のなかで、特に60年安保闘争を想起する理由があっただろうか。日本史のなかで大規模な大衆運動はいくらでもある。米騒動、食糧メーデー、阪神教育闘争、吹田事件、大須事件、原水禁運動、革新自治体運動、ベトナム反戦運動、全共闘運動、チェルノブイリ後の反原発運動、イラク反戦運動、等々。
ある新聞社は、2011年の汚染米の不買騒動を、「平成の米騒動」と表現した。この連想はあながちはずれていない。しかし課題に即して順当に考えるなら、80年代の反原発運動を想起するのが自然だ。80年代にあらわれたリゾーム状の闘争、政治闘争の構図におさまらない社会的闘争、女性たちの直接行動主義が参照されるべきだろう。(もちろんこれは、もしも歴史を参照するなら、という仮定の上での話だ。)
2012年の国会前行動と60年安保闘争を結び付けていたのは、群衆が国会をとり囲むという光景だけである。たんに視覚的な構図が似ていたというだけだ。ここにあらわれた連想は、歴史の想像力ではなく、視覚メディアの想像力である。テレビ世代の高齢者たちは、画像の視覚効果に翻弄されて、起きている事態の性格を見誤ったのだ。
国会前行動の錯覚を中和するために、ここで80年代の運動を振り返っておく。現在の状況に照らして、80年代の運動に参照すべきものがあると思うからだ。
80年代の大衆運動を特徴づけているのは、個人主義であり、単独行動主義である。単独行動主義による大衆運動というのは、ちょっと想像しにくいかもしれないが、これは本当だ。
実例として、身体障害者の自立生活運動と、在日外国人の指紋押捺拒否闘争を挙げておく。
ある身体障害者が施設を出て、自分のアパートを借りて住む。施設での生活を拒否して一人暮らしをする。この運動は、障害者の団体を結成して、団体に意見を集約して、団体から行政に要求をして、という手続きをとったのではない。そうではなくて、施設の外に協力者(介助者)をつくり、個人的に連絡をとりながら準備を進め、ある日単独で施設を脱走するのである。それは団体のしがらみを離れて単独にならなければ実行できない。そして自分が決意さえすれば、単独で実行できる。そういうやり方だ。
在日外国人の指紋押捺拒否闘争も、同様である。彼らは、在日韓国人の団体で合意形成をして、みんなで示し合わせて、せーので拒否をしたのではない。自分の考えと決意だけで、単独で拒否をしたのだ。みんながやるから俺もやる、というのではない。誰もやらなくても俺はやるよ、という構えだ。
こうした方法は大衆運動として成立しないと思われるかもしれないが、そんなことはない。単独主義の行動は伝播し、同調者を生み、実際に制度を変えさせる力になっていった。こういうダイナミズムがあるから運動はおもしろい。
2011年から始まった原子力政策との闘争を特徴づけているのは、80年代と同じく単独行動主義である。大規模な「国民運動」に見えているのは、全体のなかのごく一部にすぎない。10万人を超える群衆が国会を包囲した光景に驚くのはいい。しかしもっと驚くべきは、10万人を超える人々が、仕事も家族も放り出して汚染地域から脱出していったという事実である。動いているのは移住者だけではない。全国で市民測定所がつくられ、さまざまな検体を調べる。清掃工場、給食センター、食品メーカー、農協や漁協に電話をする。東日本産の食品をブロックするために、さまざまな働きかけをする。こうした実践は、みんなで示し合わせて実行しているのではない。おのおの単独でやっているのだ。これが制度を変えさせていく大衆のうねりである。
こうして見ると、国会前に集結した10万人を「大衆運動のうねり」と呼ぶのは間違いである。それは「木を見て森を見ず」というものだ。たかだか10万人の陳情デモなんてものは権力を揺るがせるには足りない。権力にとって真に恐ろしいのは、市役所にやってきて給食問題の交渉をする3~4名の母親たちだ。政府がどれだけ説得をしても、東日本の産品を買わないと決めたひとりの消費者である。
こうした実践は可視化されない。ただたんに買わないという行為は可視的な光景にはならない。だが、そういうものこそ強い。それは政治的な表現や思想的な概念化を待たずに、即座に直接に実行される。理屈はあとからついてくるのだ。
私たちはふだん、事物を空間的に把握し、空間的に構想することに慣れている。「構造」とか「見取り図」というとき、それは空間に置き換えて表現された「構造」であり「見取り図」だ。「見通し」、「絵をかく」、「パースペクティブ」、空間的な表現によって事態を示すこと。そうした手続きをふむことが「知性」なのだと考えられている。
しかし、そうではないのだ。いま全国で実践されている反放射能騒動のうねりは、なんの「見取り図」ももっていない。この行動の先にある「将来像」というものを提示しない。そんなものに執着する必要はないのだ。かわりに彼女が神経を注ぐのは、自らの行為を一貫したものとしている持続の時間、空間的な配置を変革してしまう生成変化の時間、構造を構造化するプロセスにごまかしもインチキもなく関与するという意志である。ここで通さなければならない「スジ」、正義、それらは持続の位相にあって、意識されているのは時間である。“構成された権力”が空間的に構想されるのに対して、“構成する権力”は時間を生きている。
話が散漫になった。時間については、もっとしっかり議論したあとに、改めて論じたい。
とりあえず私が言いたいのは、こうだ。
可視的なもの、光景、見世物、数字、空間的に構想される「政治」、「ポジショントーク」、そんなものはまったく求心力を持たない。すぐに陳腐化して飽きられてしまう。
そうではなくて、空間に亀裂を入れる一瞬の時間、契機、に、触れること。闘争を眺めるのではなく、闘争の時間を生きること。
「見取り図」がないからといって防衛的な態度をとるのは間違いである。
先人たちはなんの見取り図もなく闘ってきたのだから。