2013年7月29日月曜日
友人たちへの呼びかけ
福島第一原発から、これまでにない高濃度の放射性蒸気が出ているという情報があります。
何が起きているかは、わかりません。
東京から一時退避する人は、電話をください。
客用布団はたっぷりあります。
ちょっと旅行に行くつもりでどうぞ。
参考に http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/d9f15faaab9024fd570d080608458919
2013年7月28日日曜日
たちよみ 『被曝不平等論』
以下は、2012年7月に『現代思想』誌に寄稿したものの一部です。「被曝と暮らし」という特集に向けて、私は『被曝不平等論』という原稿を出しました。あれからもう一年も経つわけですが、あまり読まれていないようなので、後半の部分だけ抜粋して転載します。
前半は、技術的な分析、後半は社会的な分析となっています。
全文を読みたい方は、ぜひ本誌を買うか、図書館にリクエストするかしてください。
前半は、技術的な分析、後半は社会的な分析となっています。
全文を読みたい方は、ぜひ本誌を買うか、図書館にリクエストするかしてください。
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被曝不平等論
矢部史郎
・放射能は差別しない?
(略)
・希釈神話(略)
・食品の希釈神話
(略)
・防護対策と主婦
福島第一原発が拡散させた放射性物質は、東北と関東、中部地方の一部にも到達した。
この地域に暮らす住民は、三種類の経路で被曝する。土壌に堆積した放射性物質から浴びる外部被曝、塵やガスを通じてとりこむ吸入内部被曝、水や食品を通じてとりこむ経口内部被曝である。汚染された地域以外では、流通による二次拡散が進行している。震災がれき、リサイクル建材、農業資材、食品、医薬品が、放射性物質を運ぶ。非汚染地域で警戒されているのは、主に食品を通じた経口内部被曝である。
政府の防護対策はまったく不充分である。一般人の許容被曝線量を年間1ミリシーベルトとしたものの、外部被曝と吸入内部被曝と経口内部被曝をそれぞれどのように評価し管理するのかについて、まったく何もできていない。(3)
防護対策が無政府状態に陥ったなかで、市民は活発に動きはじめている。全国で市民測定所がつくられ、汚染の実態と対処の方法がインターネットをかけめぐっている。そのなかで防護対策を牽引する最大の主体となっているのは、主婦である。
なぜ主婦なのか。考えられる理由は四つある。
理由の第一は知性である。
放射線防護対策の具体的な実践は、炊事・掃除・洗濯・育児といった家事の領域での作業である。主婦は日常的に家事を担っているから、こうした作業の実際をよく知っているということがある。
主婦は毎日毎日倦むことなく(あるいは倦みながら)食事をつくり、家族の栄養管理を行っている。だから、微小な物質の蓄積が人間を活かしたり殺したりすることを知っている。放射性物質は目に見えないモノだが、これも主婦にとってはとりたてて珍しい話ではない。細菌、ウイルス、食品添加物、農薬、アレルギー原因物質、組み換え遺伝子、紫外線等々、目に見えないモノなど生活のなかにはいくらでもある。もしも「目に見えないから対処できない」とサジをなげてしまうなら、乳幼児の健康管理などとうていできないだろう。
非汚染地域の主婦が防護対策に取り組んでいるのは、それが日常の栄養管理や衛生管理を拡張することで対処可能だと見切っているからである。また、汚染地域から主婦が退避を決断するのは、彼女が防護対策の実現可能なラインを具体的に見定めているからである。彼女たちの防護対策を推し進めている第一の要因は、知性である。
第二は責任意識である。
主婦は、望むと望まざるにかかわらず、家族の健康に責任を負っている。あるいは、責任を押し付けられている。家族の誰かが病に倒れたとき、あるいは介護が必要になったとき、その面倒な作業を担うのは主婦である。ここで「主婦」というのは、結婚している女性に限らない。例えば東京のある女子学生が危惧するのは、もしも自分の親が病に倒れたとき、おそらく弟たちは親の世話をすることを放棄してしまい、自分だけが看護の一切を担わされるだろうということだ。とくに裕福な家庭でないかぎり、看護や介護の働き手は家庭内の女性に押し付けられる。彼女は結婚しないまま一家の「主婦」となり、そのことで就職や結婚の機会を失うだろう。そうした事態を現実にありうることとして想定するか否かが、彼女と弟たちを隔てている認識の違いである。ようするに「主婦」とは、家族に不測の事態が起きたときに、その尻拭いのアンペイドワークを予約指名されている者である。
被曝医療の「専門家」あるいはICRPやWHOが、放射線による健康被害は「少ない」と予測するとき、その「少ない」患者の世話を彼らが責任を持って担うことは想定されていない。その被害の結果については、患者の家族の誰かが付き添い無償で働くことを予め前提にしているのである。実際に患者が多かろうと少なかろうと、彼ら「専門家」が看護に忙殺されることはない。悲しみもなければ自責の念もない。彼らは「リスク」という言葉を好んで使うが、リスクを引き受けるのは自分以外の誰かだろうとあてにしているから、あんなにヘラヘラした態度をとれるのだ。
主婦は、家族に何かがあったとき一切を引き受ける者である。危機を吸収する緩衝材であり、モノにたとえるなら自動車のバンパーである。彼女は、たとえ自分の責任でないことであっても、自責の念を抱きつつ無償で働くことを強いられるのである。この負荷が、主婦たちを防護対策に駆り立てている。
第三は差別である。
主婦は差別に慣れている。これは差別を容認しているというのとは違う。差別を知っているということだ。他人から馬鹿にされたり見くびられたりすることは、主婦にとっては日常である。家族から馬鹿にされることも、傷つくことではあるが、それほど驚きはない。老練な主婦から見れば想定の範囲内だ。
今回の事件で、主婦に対する差別意識をもっとも体現していたのは、広告産業である。もともと主婦は消費者として広告に慣れ親しんできた。美顔、デトックス、アンチエイジングなどの健康・美容情報を発信してきたのは広告会社であり、主婦はその情報を身近において利用してきたのである。その広告会社がある日突然、放射能を怖れず受忍せよ、と言いだしたのだ。これはあまりにも極端な手のひら返しであり、広告という事業の差別的性格を剥き出しにした瞬間であった。広告会社のアドバイスに従うなら、世の女性たちは紫外線についてぬかりなく警戒しなければならないが、放射線については受忍しなければならない、ということなのだ。これほど人を馬鹿にした話があるだろうか。これほど大掛かりであからさまな差別を私は今まで見たことがない。
差別された者は差別する者を信用しない。主婦は差別を知っていて、すぐにばれるような嘘をぬけぬけという人間を見慣れてもいるから、どういう人間を信用してはいけないかを知っている。放射能問題のさまざまな論争の過程で、政府や「専門家」の言説が次々に無効化されてきたのは、主婦が誰の言葉も信じないからである。主婦はすぐに「わからない」と言う。充分にわかっているときでも、いやわかっているときにこそ、「わからない」と言う。彼女がいきいきとした顔で「わからない」と言うとき、それはようするに「お前の口先など信用しない」という通告である。彼女たちがもつ「人を信じない」というハビトゥスは、さまざまな議論の重しとなり、盾となり、人々の混乱する意識に指標を与えてきた。これが防護対策を推進する力の一つである。
第四に時間感覚である。
再生産(労働力の再生産)に携わる者は、時間の射程が長い。賃労働というものが基本的にその場限りの契約であり、商品経済の短期的な売買の一部にすぎないのに対して、再生産に関わる労働はきわめて長期にわたる生活経済のなかに埋め込まれている。一人の子どもを出産し、育て、一人前にするまで、20年前後の時間がかかる。引退した老人の世話をして送りだすまで、やはり育児と同じだけの時間がかかる。再生産労働は、もう嫌になったと心変わりをしても簡単にやめることができず、相当の長期にわたって関わり続けなければならない労働なのである。極端な言い方をすれば、賃労働者が時間のないユートピアを生きて時間感覚を喪失してしまっているのに対して、主婦は時間のなかに生きて時間を対象化している。例えば、セシウム134がほぼ消滅するための時間は半減期2年の10倍として20年であるが、この20年という時間を具体的な人間の時間としてイメージできるかどうかという違いだ。あるいは、10年後か15年後かに顕在化するだろう晩発性障害は、時間を忘れた鶏のような意識にとってはまったく見当のつかない話だろう。「そんな先の話は考えてもしょうがない」と。しかし、主婦にとって15年後というのは、充分に手の届く未来なのである。
・被害予測に埋め込まれた搾取
ここまでに、主婦がもつ知性、責任意識、社会(男性中心主義社会)との敵対性、時間感覚について述べた。人工核種が人体に与える影響について、被害は軽微だろうと楽観する者たちは、主婦たちの防護活動を揶揄しつつ、実際には、彼女たちの防護活動をあてにしている。彼らは決して「防護は不要だ」とは言わない。防護の必要を認めつつ、「考えすぎだろう」と言うのだ。あるいは、「被害は多くないだろう」とは言うが、「被害はまったく出ないはずだ」とは言わない。「被害はまったく出ない」と言ってしまうと、防護対策は不要だということになってしまうからだ。
もう紙数がないので煎じつめて言うが、被害予測を過小評価する者たちは、ようするに、「防護対策は必要だが俺はやりたくない」と言っているのである。防護対策には費用も労力もかかる。身近な人間関係に軋轢を生む。長い時間を想像し、自分がこれから生きるだろう人生について深く考えなくてはいけない。そういう面倒な作業を、自分はやりたくないと言っているのだ。
放射線防護活動に働く人々は、悲観的な被害予測をたてている。この被害予測は、はじめから裏切られるべき予測としてたてられていて、10年後にあらわれる現実が予測を少しでも下回るために防護活動にいそしむわけだ。彼女たちが働いた成果は、社会全体に恩恵を与えるだろう。彼女たちが働けば働くほど、現実は想定した悲観的予測から離れていき、「被害は軽微だろう」とあぐらをかいている者たちの予測に近付いていく。彼女たちは自分自身の権利のために働くだけでなく、彼女を嘲笑して何もしない寄生者の権利のためにも働くことになるわけだ。
ここで「被害予測」とは、純粋に自然科学の領域での学説や論争というものではなくなっている。「被害予測」は、防護活動を担うのかそれともタダノリするのかという政治的駆け引きの道具になっている。市民の自主的な防護活動が揶揄や嘲笑にさらされるのは、その活動が不要だからではない。その活動に正当な評価を与えないことで、タダノリを正当化するためである。「放射能なんて俺はまったく気にしない、女房が勝手にやっているだけだ」と言えば、その一言を言うだけで、彼は面倒な作業を免除されて、安全な食事という成果だけを受け取ることができる。政府が楽観的予測をたてるのは、その予測を強弁して防護活動を非公式なものにとどめておくことで、市民のもつ資源を際限なく引き出し、本来てあてすべき予算措置をとぼけることができるからである。楽観的な「被害予測」というのは、防護対策に先だって、防護対策から独立してたてられているのではない。防護対策をどれだけ引き受けないで済ませるかという利己的な動機によって、「予測」が導かれている。この「予測」は、防護作業に関わる搾取のプロセスの一部となっているのである。
この搾取の構造は、いまに始まったことではない。これは資本主義がもつ普遍的な構造であり、第二次大戦後の「原子力資本主義」が資本蓄積をはたすために強化してきた政治的枠組みである。乳児死亡率が下がり、教育が高度化し、再生産労働が飛躍的に発展していくのと比例して、主婦の社会的評価は下落し続けてきた。主婦の働きを正当に評価しないこと、それを公的な問題として扱うのではなく「私的」な問題に押し込めておくこと、公式ではなく非公式なものにとどめておくことが、資本蓄積の第一の条件だからである。主婦を貶め、主婦の働きにタダノリすること、この搾取を正当化するイデオロギーが階級や政治的「左右」を横断して国民的合意にまで高められることで、現代の現代的な資本蓄積が完成するのである。
放射性物質の拡散は、この搾取の一般的構造を前景化させている。いまもっとも精力的に働いているのが主婦であり、同時に、もっとも貶められているのも主婦である。主婦に対するバッシングは、階級も政治的「左右」も超えて、社会全体に及んでいる。だから「推進派」はもちろんのこと、「反原発派」を自認する者や「左派」を自称する者たちからも、主婦の働きは正当に評価されず腫れものになっているわけだ。主婦にむけられた道徳的な断罪や貶めに加担する者が、「左派」や「女性学」を自称するなかにも紛れ込んでいる。彼らは、性差別の構造も資本主義の構造もまったく理解していないニセモノである。ニセ左翼やニセフェミニストは、主婦をたたくことが道徳的義務であるかのように勘違いをしているが、こうした振る舞いこそ言葉の正しい意味で「ブルジョアイデオロギー」と呼ぶべきものだ。それは、再生産を担うことの重責を放棄し資本主義との対決を回避したいという、自らのおびえを表明しているにすぎない。ニセモノたちがやっている主婦バッシングとは、敵前逃亡を体よくみせるための口実なのである。
最後にもういちど不平等の話をしよう。
被曝を受忍すると言う者は、被曝が平等ではないという事実を忘れている。それに加えてもう一つ彼らが忘れたふりをしているのは、この社会がけっして平等な社会ではないということだ。我々が生きている社会は、差別と搾取と不平等に満ちているということを、彼らは忘れたふりをしているのである。
この原稿を書いているあいだに、私は愛知県のある大学で特別講義をした。社会福祉士を目指す学生たちのゼミだ。三回の特別講義の一回目では、放射線被曝に関するテキストを読ませ、40人の学生を4人づつのグループに分けてディスカッションをさせた。ここで私は次のような問いを投げた。
「いまから四年後に、皆さんは大学を修了し、社会福祉士の資格をとり、無事に就職することができたとします。就職してまもなく、職場の上司があなたに転勤を打診してきました。福島県郡山市で職員が不足している。無理強いはしないが、もし可能なら郡山に行ってくれないか、と。あなたは行きますか?」
それぞれのグループで、行くか行かないかを討論させた。20分ほどの討論の結果、学生の半数が、郡山に行くと言った。この結果に私は困惑し、さらに不利な条件を追加した。
「実はその職場では、昨年度も郡山に職員を派遣していました。君たちの先輩が三人派遣され、三人とも一年で辞めてしまいました。体を壊したか給料が安すぎたのか、理由はわかりませんが、ようするに使い捨ての人員です。その穴埋めのために君たちは転勤を打診されたのです。行きますか?」
結果は変わらなかった。学生の半数はそれでも「行く」というのだ。
社会福祉士を目指す者の資質として、この自己犠牲の精神は必要なものかもしれない。しかし私が彼らに教えなければならないのは、自己犠牲ではなく、自分自身を大切にする権利意識である。「行く」という学生がいるのはいい。しかしおそらくそのなかには、「私は行かない」と言えないでいる学生が含まれている。「私は断る」「私は行かない」と言えないために、「行く」と結論しているのだとしたら、それは学生の自己責任ではなく、教師の責任である。
これからの放射能時代を生きるために、教師が学生たちに教えなければならないのは、自分をまもる人権意識である。しっかりとした権利意識を持って危険な作業を断ることができる者は、相当の防護対策を実現できるだろう。自分の権利を知らず、権利を主張できない者は、選択的に放射能を浴びせられることになるだろう。これはかつての戦争に似ている。「被曝を受忍しよう」と号令をかける老人は、実際にはたいして被曝しない。老人はずっと後方の安全地帯であぐらをかき、本物の放射能戦争を見ることがない。そして、自分の権利を主張できず人権を圧迫された若者と女性たちが、汚染地帯に赴き、あるいは汚染地帯にとどめおかれ、ケタ違いの放射能を浴びせられるのである。
特別講義の二回目に、私は学生たちに次のような宿題を出した。
「みなさんがいま利用している学生食堂の食材について、生協はどんな防護対策をとっているか、調べなさい。この大学の保健管理を担当する部署に行き、放射線防護の取り組みと考え方を調べなさい。大学が学生の防護をどう考えて何をやっているのか、あなたたちにはそれを知る権利がある。対策に不明な点や矛盾する点があれば、自分が納得できるまで何度でも詳細に問い合わせてください。」
「国民全体で被曝を受忍する」と言うときに、国民が平等に被曝するわけではない。「みんなで分ちあう」なんてのは、まったくデタラメなおとぎ話である。
放射能を浴びせられた社会は、もとからはらんでいた差別と搾取を露出させ、強化していく。社会はこれまで以上に分化し、バラバラになり、敵対性を深めていくはずだ。いま私たちに必要なのは放射性物質をめぐる科学であると同時に、この分化した社会と対峙し、生きぬくための人権意識である。
2013年7月25日木曜日
ツイッターとその反動
仮説としての「原子力資本主義」は、透明性と柔軟性を備えた管理型権力である。それは、主権がまるで主権ではないように振る舞う世界だ。不正や暴力はまるで偶発的な事件のように演出され、人々に追認され、支配の構造が見えなくされる。
ところで、2011年の放射能拡散以後にあらためて考えてみるべきは、いまこの管理型権力は可能か、いまそれが実現しているのか、ということだ。
政策の現状を離れて考えてみれば、放射能汚染という事態は、管理型権力のブラッシュアップにとって絶好の機会であったように思われる。それは人々に例外なく驚異を与え、生活の細部に浸透しつつ、生存のあらたなコードを要請するはずだ。汚染を判定するための基準づくり、リアルタイムで更新される情報環境の整備、防護対策の規格化、医療措置と保険の規格化は、人々の生に肉薄し、包摂する。ここで目指されるべき統制は、汚染被害を単純に隠蔽するのではなく、反対に汚染を摘発するようなしかたで情報を管理し、人々が自ら被害を受け入れるように仕向けることだ。汚染実態を積極的に調査し、情報環境を整備しつつ、その判定基準と作業規格に介入(独占)することだ。そうして人々に対しては自己決定/自己責任のゲームを演出し、暴力の構造を不問にさせるのだ。現在の情報技術を利用すれば、為替相場や株価情報がリアルタイムに伝達されるようなやりかたで放射能汚染を視覚化し、権威づけ、「指令なき指令」を貫徹することができる。それは旧い規律型権力では実現できなかったような強さで、より包括的な支配を形成しただろう。
しかし現実はそうならなかった。2013年7月現在、日本政府は管理型権力を完成していない。民主党政権は初動の対応において管理型権力を試みようとした形跡があるが、そのあとを継いだ自民党政権はむしろ規律型権力へ退行しているように見える。政府は汚染実態を隠すことに一定の成功をおさめたが、情報を隠しているという事実を隠すことができなかった。むしろ情報を統制する政府自身の姿が白日の下にさらされてしまった。「安全・安心社会」は情報技術によって誘導・操作されるのではなく、ただたんに規範として押し付けられ、その指令のもつイデオロギーを露出させてしまっている。
現状における管理型権力の失敗をよく表現しているのは、ツイッター(スマートホン)というメディアである。ここには、新しいメデイア技術がもつ革新性と、それにたいする反動とが書き込まれている。
ツイッターの革新性を世に知らしめたのは、千葉県市原市のガスタンク爆発をめぐる警戒情報だった。このとき、炎上で発生した煙の危険性を伝えたのは、テレビでも新聞でもなくツイッター(と携帯メール)だった。この警戒情報を政府は「デマ」として退けたわけだが、この日から、スマートホンとツイッターは災害情報を交換する重要な手段になっていった。それはとくにマスメディアが取材対象としない郊外地域において力を発揮した。ツイッターは、地域の個別的な情報をきめ細かに伝えたのである。災害情報に次いで、各地域における放射能汚染の情報がやりとりされる。これもまたマスメディアが不可視化させたものを可視化させる働きをした。政府の広報機関となった新聞とテレビは、汚染の詳細な実態を伝えようとしなかった。いくつかの週刊誌は首都圏の汚染を実測して伝えたが、速報性ときめこまかさに欠けていた。放射性プルームは高速で、汚染濃度の分布はまだらにあらわれる。この特性によく対応したのは、ツイッターという新しい情報技術だったのである。
ツイッターは、まず市民の自力救済を支援する道具としてあらわれ、つぎに、政府の情報統制にあらがう抵抗の道具としてあらわれた。それはいまでも放射線防護活動をおこなう人々にとって重要な道具であり続けている。政府はこの情報の流れを掌握することに失敗した。ツイッターは政府が管理することのできないものとなってしまったのだ。
ツイッターの革新性はリアルタイムに更新される情報伝達としての利用だったのだが、これにたいする反動は、情報の解釈、議論、規範意識の表明としてあらわれた。議論の余地のないところにわざわざ議論を持ち込み、規範意識を表明する利用者があらわれたのだ。
これは新しいメディア技術に旧い規律型権力を持ち込み、その機能に制動をかけるものだった。それは一口に言えば、ツイッターをテレビ的に解釈・運用するものだったと言える。たった140字で意見を表明したり議論をふっかけたりというやりかたは、実にテレビ的でワンフレーズ頼みの、まるでワイドショーのコメンテーターやタレント議員のような振る舞いを流行させた。ここからツイッターは中高年男性の無駄な自己主張を垂れ流す道具となる。ツイッターで表明される意見がしばしば独善的で、内省や繊細さや美意識を欠いたものであるというのは、事実である。それはツイッターというメディアのせいではない。その原因は(一部の)利用者が持ち込んだテレビ的ハビトゥスである。ワンフレーズで、粗雑で、反知性的で、無責任で、言いっぱなしであるという特徴は、その人間の内容がテレビだったからである。内省や熟考よりも、押しつけがましい精神論が勝ってしまうというのは、ツイッターの特性ではなく、テレビの特性である。
ツイッターはその革新性のために、反動の標的となり、テレビ人間の攻勢にさらされている。ではツイッターは、旧いテレビ文化に呑み込まれ、テレビ人間に占有されてしまうのだろうか。
そうはならない。
現代の情報技術の起源は、米軍の核戦争体制(戦略爆撃体制)が生み出した情報技術からきている。軍事技術としての情報技術は、「C3I」(シーキューブドアイ、3つのCと1つのI)という思想で表現される。すなわちCommand(指令)、Control(統制)、Communication(伝達)、Intelligence(情報取得)である。この核戦争のための情報技術から派生して、現在の民生用インターネット環境ができあがってきたわけだが、ここで注目すべきは、軍用技術から民生技術へとスピンアウトしたときに、「C3I」の思想は継承されなかったということだ。軍用の情報技術においてCommand(指令)とControl(統制)は必要不可欠なものだが、民生用に転用された情報技術においてはこの二つが排除され、Communication(伝達)とIntelligence(情報取得)に純化していくのである。
ツイッターは、テレビ的ハビトゥスに表現の場を与えつつ、それを対象化し、陳腐化させる。たとえばある有名人が亡くなったというニュースが流れたとき、「ご冥福をお祈りします」というコメントが氾濫する。ここで膨大な量の利用者が「ご冥福をお祈り」してしまうことで、そのテレビ的ふるまいそのものが戯画化され、陳腐化することになる。あるいは「ぱくツイ」という行為が流行する。「ぱくツイ」とは、他人のツイートをサンプリングし流用する行為だが、これは、「私的な表現」や「自発的な表現」に見えていたつぶやきを、広告のキャッチフレーズの焼き直しであるかのように見えさせてしまう。
ツイッターは人間に表現させ、表現を対象化し、陳腐化のふるいにかけていく。ここに持ち込まれるメッセージ、二つのC(Command,Control)は、その内容にかかわらず、意味を打ち消され衰弱させられてしまうのである。
菅政権がおこなった「絆」キャンペーンは、現在、暗礁に乗り上げている。その要因のひとつは、現代の情報技術のもつ遠心的性格が、「絆」というCommandを陳腐化させたからだ。いまいったいどれだけの人々が「絆」を信じているだろうか。同様に、「復興」も「福島」も「東北」も、あらゆる指令が陳腐化し、衰弱していく。政府は「復興」の号令をかける。しかし「復興」が実体を欠いた想念にすぎないものであるということを、誰もが知ってしまっている。現在の情報環境は、「復興」政策の失敗と流血をリアルタイムに伝達しているからである。
「絆」、「復興」、そして「共同体」は、いまやマスメディアの放つイメージのなかにしか存在しない。それはメディア産業の衰退とともに消えていくだろう。
追記
冒頭に考えた管理型権力の問題について、尻切れになっているのだが、これはやはり、「主権」を日本国家の枠で小さく考えていたのでは見えてこない問題であるだろう。アメリカ政府、そしてIAEAという大きな権力について考える必要がある。
民主党政権による初動対応で注目するべきは、福島第一原発の収束作業を政府の事業としては引き受けなかったことがある。菅直人は東京電力の撤退を許さない一方で、自衛隊の撤退は許しているのである。このとき以来、収束被曝作業は民間事業となり、政府の責任は追及されないことになる。自民党政権も、菅直人を批判しながらこの路線を踏襲する。この決定は、アメリカ政府とIAEAにとってうれしいニュースだったに違いない。菅直人という政治家が海外で高く評価されるのは、この政策判断によるものだろう。
追記
冒頭に考えた管理型権力の問題について、尻切れになっているのだが、これはやはり、「主権」を日本国家の枠で小さく考えていたのでは見えてこない問題であるだろう。アメリカ政府、そしてIAEAという大きな権力について考える必要がある。
民主党政権による初動対応で注目するべきは、福島第一原発の収束作業を政府の事業としては引き受けなかったことがある。菅直人は東京電力の撤退を許さない一方で、自衛隊の撤退は許しているのである。このとき以来、収束被曝作業は民間事業となり、政府の責任は追及されないことになる。自民党政権も、菅直人を批判しながらこの路線を踏襲する。この決定は、アメリカ政府とIAEAにとってうれしいニュースだったに違いない。菅直人という政治家が海外で高く評価されるのは、この政策判断によるものだろう。
2013年7月9日火曜日
吉田所長は二度殺される
東京電力福島第一原発の元所長、吉田昌郎が死亡。
蓋然的に考えれば、これは業務上過失致死の疑いが濃厚な事件である。
しかし、おそらく検察はこの死を事件化しないだろうし、司法解剖も行わないだろう。
吉田昌郎は「英霊」になった。
その死の背景は誰もあきらかにしない。
彼は二度殺されるのだ。
蓋然的に考えれば、これは業務上過失致死の疑いが濃厚な事件である。
しかし、おそらく検察はこの死を事件化しないだろうし、司法解剖も行わないだろう。
吉田昌郎は「英霊」になった。
その死の背景は誰もあきらかにしない。
彼は二度殺されるのだ。
2013年7月8日月曜日
いのちてんでんこ、あるいは、分子状民主主義
2011年3月。東日本大震災の被害を伝えるテレビ報道のなかで、ひとりの女性が画面に映しだされる。彼女は津波を逃れて生き残った一人だ。彼女は静かな興奮を抑えながら、語る。私は介護施設に勤めていた。施設にいた老人は置いてきた。私は助かった、と。その後、全国に知れわたることになる「いのちてんでんこ」の規則である。
「いのちてんでんこ」とは、津波災害をたびたび経験した沿岸地域で伝承されてきた避難規則である。津波から逃れるために高台を目指して避難する。このとき、誰かを助けようとしてはいけない。自分が避難することだけに専念しなくてはならない。親も兄弟も子供も、誰も助けず、うしろを振り返らず、自分の命を守るためだけに走らなくてはならない。これが「いのちてんでんこ」の規則である。
親も子も助けず、バラバラに、「てんでんこ」にならなくてはならない。この規則は、津波災害の過酷さを反映したものだろうか。ある一面ではそうだ。津波の速度ははやく、誰かを助けている暇などない。誰かを助けようとした者が水に呑まれてしまうということは充分にありうる。津波災害から命を守るためには、人と人の助け合いということを忘れて、バラバラにならなくてはならない。
これは、私たちが通常考えている「共同性」を解除する例外的な規則であるかに見える。生命の存続に関わる非常事態だからこそ許容される例外的な規則である、と。
しかし、本当にそうだろうか。もう少し考えてみると、「いのちてんでんこ」という規則がもつ別の側面が見えてくる。この規則が、例外的な事態から要請されるのではなく、むしろその反対に、村の日常の秩序をまもるために要請されていることがわかる。
沿岸部の村落が津波災害にたびたび襲われるということは、津波の被害が軽微であったり、まったく被害がない場合もあるということである。このとき、避難した者も避難に遅れた者も、全員が生き延びることになる。そうして津波騒ぎのあとに全員が日常の生活に戻っていくわけだが、ここで元の生活に戻れるかどうかが問題だ。
「いのちてんでんこ」の規則がなかった場合、人は誰か身近な者を助けるだろう。それは家族かもしれないし隣人かもしれない。しかし、すべての人がすべての人を助けるということはできなくて、誰かに助けられた者と誰にも助けられなかった者が生まれてしまう。母親が家にいた次女を抱えて避難したが、外に遊びに出ていた長女は置いてきてしまった、ということがありうる。それがたとえ偶然にそうなったのだとしても、結果として保護された娘と保護されなかった娘がうまれて、被害が軽微であった場合、どちらの娘も生き延びるのである。彼女たちがもういちど同じ屋根の下で暮らすのはそうとう難しいだろう。親と娘のあいだ、または二人の娘のあいだに、遺恨が生まれないわけがない。
あるいはこういうことも考えられる。ある身寄りのない老人がいる。彼女は歩行が不自由であったが、隣に暮らす若い夫婦に助けられて避難することができた。この老人が自分を助けた夫婦に恩義を感じるということはありうる。若い夫婦が恩に着せるような素振りを見せなかったとしても、一方的に恩を感じることはありうる。彼女は自分を助けた夫婦に「借りがある」と感じ、あるいは、ふたたび津波が襲ったときに支援されることを期待するかもしれない。若い夫婦は、年老いた隣人を気にかけ、なんらかの責任意識をもってしまうかもしれない。あるいはその反対に、頼りにされることに疲れ、面倒だという感情を抱くかもしれない。こうしたもろもろの意識は共同体の秩序にとって破壊的な作用を及ぼす。生命をめぐって「貸し借り」の関係がうまれてしまうことは、それがほんの些細な感情だとしても、人々の関係を蝕んでいく。小さな村落の社会が健全な秩序を回復するためには、そのような「貸し借り」の感情は強く戒めなくてはならない。
津波騒ぎのあとにどのように元の秩序を回復するか。人々は生命の危機をかいくぐったあとに、「恨みっこなし」の「貸し借りなし」でなくてはならない。そうでなければ元の生活に戻れないのである。「いのちてんでんこ」の規則が、古くから根強く伝承されてきたのは、これがただ生命を守るためだけではなく、共同体が要求する平等と無支配の秩序を維持するためにあるからだろう。
だから、津波を逃れた女性が「老人を置いてきた」とすがすがしく語るとき、それは、自己の生命のために共同体を放棄したということではない。そのように見えるのはカメラのレンズが歪んでいるためだ。実際に起きているのはそれとは逆のことであって、彼女は自己の生命を賭けて共同体の秩序を守ったのである。だから彼女はなんのためらいもなく確信をもって語るのだ。たとえその村落が回復不能で、もう元の生活には戻ることができず離散を余儀なくされるのだとしても、それでも彼女たちの思想は生き続ける。これまでの長い時間の中で、おそらくいくつもの村が壊滅してきたことだろう。そうして村は幾度か消滅し、思想が生き続けてきたわけだ。
「いのちてんでんこ」の伝承は、我々が考えうるもっとも古い地層に位置するものである。それは、「防災」という観念が生まれるずっと前から、さらには、この地域が歴史に書き込まれるずっと以前から、長い時間をかけて練り上げられてきたものであるだろう。この未開的特徴をもつ社会思想が、現代のわれわれに強い衝撃をもって教えるのは、共同体は不変ではないという事実である。共同体はある日突然に滅びることがある。なんの前触れもなく突然に、家族も財産も生活の糧も失なうことがある。この単純な事実を見るとき、人々は生成消滅する社会の動的性格と向き合うことになる。人間の生活が根をおくべきは、なにか確固としてみえる社会制度ではなく(それは幻想である)、社会の動的性格を踏まえ、ひとりひとりの人間が社会をどのように構成してゆくのかという原則である。
村落をまもるためにどれだけの防災対策を施すかという議論は、思想ではない。堅牢な防潮堤の建設が人間の秩序を生みなおすわけではない。それは災害という問題を考えることを回避した結果にすぎない。真に問題となるのは次のことである。人知を超える圧倒的な力が共同体を崩壊させるとき、そこで生きる人間がもういちど生きようとするときに、どのような原則が人間を生きさせるのか、ということだ。死にさらされて生きている生命が、死の恐怖に囚われるのでなく、死を忘れてしまうのでもなく、どのように生きられるだろうか。死をめぐる感情と思考の隘路に踏み込まず、しぶとく生きていくために、どのような原則が必要なのか。この問いは抽象的な問いではない。日々の生活が要請するきわめて具体的な問いである。
2011年3月末。水道が汚染された東京では、人々がペットボトルの水を買い求めていた。政府とマスメディアはこれを「買い占め」と呼んで非難した。消費者を悪魔化する常套手段である。しかしマスメディアによる恫喝的報道とは対照的に、人々はそれを「買い占め」とみなすことはなかった。それはただ買い求めているだけであって、けっして「買い占め」ではない。
このとき浮きぼりになったのは、国家の考える「秩序」と、人々の考える秩序との、噛み合わなさである。国家は人々がめいめいに実践する自力救済活動を「秩序」の障害であるとみなした。しかし人々は、てんでんばらばらに行う自力救済が秩序に反するとは考えなかったのだ。
もちろん物資は不足していたから、すべての人に必要な量の水が行きわたったわけではない。水を買うことができず、汚染された水道水を飲んだ人もいる。にもかかわらず、人々は大きな衝突も混乱もなく、整然とスーパーの売り場に並んでいたのである。あるいはこれは経産省が行った「ただちに影響はない」という告知の効果だろうか。人々が「放射能は危険ではない」と考えたから混乱が起きなかったのだろうか。そうではない。人々は放射能汚染の脅威を知っていた。だからみなペットボトルの水を買い求めたのだ。ここにあらわれた秩序は、国家の考える傲慢な「秩序」ではなく、国家的思考の彼岸に位置する秩序である。
2013年6月末、東京で何人かの人々と会って、話をした。私が想像していた以上に、東京の人々はバラバラになっていた。この二年間とりくまれてきた大規模なカンパニア運動は、彼らの心をひとつに束ねるのではなく、バラバラに引き裂いていた。ちょうど一年前、官邸前のデモを「アラブの春」と重ねたり「あじさい革命」と呼んだりしたことは、もう忘れられていた。民衆運動をひとつに束ねようとしたあの熱気は、おおきな挫折感だけを残して消え去っていた。
これは、よい徴候である。
バラバラになることを恐れたり、そのことで絶望したりしてはいけない。反原連(首都圏反原発連合)は敗北した。それは敗北するべくして敗北したのだ。この事実に次の状況を拓く展望をみるべきだ。共同体を不変とみなす「民主主義」のモデル(運動のモデル)は、その無効性をあきらかにした。他方、全国で展開される放射線防護活動は、てんでんバラバラに実践され、個別に成果を上げ、着実に前進している。それは「運動」と呼ぶよりも「騒動」と呼ぶのがふさわしいやりかたで、「共同性」の解体を進行させるのだ。
この「騒動」はあらたな民主主義を産むゆりかごである。共同性に依存した「民主主義」モデルを離れて、共同性を解体する分子状民主主義を発明しなくてはならない。いまはそのチャンスである。より意識的に共同性を解体し、動員を解除し、個の自律性を高めるべきだ。その先に考えられたものだけが、今後、意味をもつことになる。
群れたい者は群れさせておけばよい。それらはじきに滅ぶ。