年始に友人たちと話していて、私にとって長年の課題であった「名古屋とはなにか」問題がおおきく進展した。東京から見て名古屋という街は「なんかヘン」なのだが、その「ヘン」ということの内容を考えるいとぐちが見えてきた。
まずわれわれが行ったのは、いくつかの特徴的なディテールを考察することだった。
1、人の歩き方がヘン。ペタペタ歩いている。
2、店の看板やメニューがヘン。フォントやバランスがおかしい。
3、喫茶店に行くと必ずおばちゃんが集まっている。
こうした特徴は名古屋の印象を「田舎くさい」と感じさせるものだ。しかし問題を見えにくくしているのは、名古屋が本当の意味での田舎ではなくて、日本有数の大都市であるということだ。機械・航空機・自動車を生産する先進工業地域であり、経済と人口の集積地である。名古屋人が東京人に対して「名古屋は田舎でしょう」と自嘲気味に言うとき、それは、「名古屋は辺境だ」と言っているのではない。通常の辺境という意味での「田舎」ではなくて、別の意味で「田舎でしょう」と言うのだ。
結論を先に言ってしまうと、名古屋人は近世を生きている。近世・近代・現代の近世だ。
名古屋人の歩き方がペタペタしているのは、クルマ社会で脚力が弱いということもあるかもしれないが、これは近代人の歩き方ではなく、近世の町民の歩き方である。看板のフォントがなんかヘンな感じになってしまうのは、明治以降の「近代文化」を受容していないために、タイポグラフィの基本的なルールが不徹底なのである。そして名古屋の喫茶店がいつもおばちゃんで賑やかなのは、それが「近代」的な意味での喫茶店ではなく、町民のよりあう茶屋だからである。
名古屋には近世の文化がいまも息づいている。テレビで再現される「お江戸でござる」なんかよりもずっとリアルに、ナマで、「名古屋でござる」をやっているわけだ。まるで明治維新などなかったかのように。よく考えてみるとこの東海地域の歴史にとって、明治時代というものほど無意味なものはない。明治をもって「文明開化」だの「近代化」だのというのは、それは日本の歴史はそうかもしれないが、名古屋にはあまり関係のない話だ。この地域にとって重要なのは、戦国時代、安土桃山時代、幕藩体制だ。近代の黎明期(近世)こそが、名古屋人が信じる近代である。
名古屋のテレビを見ていると、毎日かならず戦国武将と「モノづくり」が登場する。戦国時代の逸話がつい昨日のことのように語られるのは、名古屋人が近世人だからである。陶芸や刃物など「モノづくり」が賞賛されるのも、それが近世から蓄積された技術だからである。
名古屋の方言で有名な「おみゃあさん」という言い方は、「お前様」という近世の言葉がなまったものだ。名古屋名物の「ういろう」という菓子は、もとは小田原が発祥なのだが、この近世に流行した菓子を名古屋人がしつこく保存していたために、名古屋名物になってしまった。あと、名古屋名物の食べ物はたくさんあるが、それらが「美味しい」というよりも「おもしろい」感じで評判になってしまうのは、名古屋の職人が明治近代のルールをスキップして、近世と現代を直に接合させてしまうからである。フライに味噌をつけたり、ビスケットにあんこを挟むなど、近代日本人にはできない仕事だ。これはメニューのフォントがヘンなのと同じで、名古屋の職人たちは明治のルールに縛られず自由にやってしまうので、おもしろい感じになってしまうのだ。
名古屋の人々は、明治以降の近代100年をスキップして、近世を生きている。室町後期からずっと経済的に豊かであったから、「近代」をスルーしても問題なかったのだ。「近代」がもたらした熱や、傷や、コンプレックスがない。そうした「近代」の歪みを排除して、おいしいとこどりをしてきたということもある。名古屋という街がのんびりしてユートピアじみて見えるのは、そういうことだ。
だから名古屋人は、「日本人」の屈託を理解できない。日本人がなにか発奮しているときに、一緒に盛り上がることができない。
たとえば、若い右翼政治家が「日本維新」という言い方をしたとき、大阪や東京で口にされる「維新」と、名古屋人が受け取る「維新」とは、根本的にズレている。というか、名古屋人はそんなもの知らない。明治維新とか坂本龍馬とか松下村塾とか勤皇の志士とか、知らない。よくわからない。そういう明治っぽいワードにピンとこないということを、ある意味で誇ってもいる。「金持ち喧嘩せず」みたいな。上から目線である。これは反権威主義ということとは違う。たんにズレているのだ。名古屋人はとても保守的で身分意識が強く権威主義でもあるのだが、それは日本人の権威主義とはズレていて、接点がない。だって近世の町民だから。
名古屋には中日ドラゴンズという野球チームがあって、とても強いAクラスのチームなのだが、中日は野球という近代スポーツを代表するチームにはなれない。中日がリーグ優勝しても、日本人は誰も喜ばない。落合という監督は、「誰よりも野球を知っている男」として有名だったが、同時に、「野球を盛り上げるつもりがまったくない男」としても有名だった。落合監督のミもフタもないシニカルな発言は、名古屋人的にはバカウケだったのだが、純朴な日本人にとってはいちいちカンに触るものだっただろう。
ついでに言うと、中日新聞というブロック紙は、日本の新聞とはちょっと違う。東海地域で圧倒的なシェアをもつ新聞が、なんの屈託もなく、原発はいらないと主張し続けている。まさに「金持ち喧嘩せず」。日本と名古屋のズレを端的に示すものだ。
追記
中日には「燃えよドラゴンズ」という応援歌がある。これは数ある応援歌の中でも人気の高い名曲なのだが、その曲調はまるで田楽である。阪神の応援歌「六甲おろし」と比べれば違いは明らかで、「燃えよドラゴンズ}は思わず踊りたくなってしまうような曲だ。名古屋の近世人の手にかかると、近代スポーツに田植え踊りが挿入されてしまうのである。